2018-06-03

三浦悦子人形展覧会

マリアの心臓で開催中の「三浦悦子人形展覧会」を観に行ってきた。

人形をじっくりと観たのは初めてかもしれない。三浦悦子の人形以外にも、天野可淡や恋月姫のものや、市松人形なども数多く展示されていた。

こちらがみつめても決してみつめ返すことなく、つくられた時点での抽象作用を超然と維持することで、自らの現実を提示し続ける。とりわけ、天野可淡の人形が提示する現実は、超然さが際立っていたように思う。

観賞する人間とは決して同じ現実を構成せず、人間がそれを虚ろなものに感じることこそが、人形の人形たる所以なのだろう。

つくられた瞬間から壊死し続けることによって獲得される人形の超然さ。人間がそれを獲得できるとしたら、死の直後の一瞬を措いて他にはないだろう。

No comments:

Post a Comment