2021-12-10

地球人は宇宙人の部分集合か?

https://youtu.be/ksklt5-zluI

「宇宙人」の定義による。

広辞苑第六版では、宇宙の項に宇宙人の説明があり、
―-じん【宇宙人】
①地球以外の天体に生息するとされる、高度な知能を持った生命体。
となっている。
ちなみに宇宙の項は以下のとおりである。
うちゅう【宇宙】
①世間または天地間。万物を包容する空間。
②[哲]時間・空間内に秩序をもって存在する事物の総体。また、それら全体を包むひろがり。
③[理]すべての時間と空間およびそこに含まれる物質とエネルギー。
④[天]すべての天体を含む空間。また特に、地球の気圏の外。
④に関連して、天体と宇宙空間を調べると、
てんたい【天体】
宇宙空間にある物体。銀河団・銀河・恒星・衛星・彗星・星雲などの総称。
―-くうかん【宇宙空間】
恒星または惑星の間の空間。地球についていえば、一般に、ふつうの航空機が飛べる限度(高度約三十㌖)以上の空間。
となっており、地球は天体や宇宙空間には含まれていないことがわかる。(少しツッコミを入れると、宇宙空間の定義によれば恒星は宇宙空間に含まれないのに対し、天体の定義では恒星が列挙されているので、整合していない。)

つまり、宇宙を④の意味で捉えると、地球は宇宙の部分集合ではなく、地球人もまた宇宙人の部分集合ではないことになる。ただし、宇宙人から見た地球人は宇宙人であり、「宇宙人」という用語は「外国人」と同じように相対的な関係に基づく呼称になっている。そのため、④の意味では命題「地球人は宇宙人の部分集合である」は偽であっても、命題「地球人は宇宙人である」は必ずしも偽ではない。後者の真偽を判定するには誰にとってかを決める必要がある。

一方で、宇宙を①~③の意味で捉えると、地球⊂宇宙なので、命題「地球人は宇宙人の部分集合である」は真である。これは「日本人はアジア人の部分集合である」と同じであり、定義より自明である。

宇宙がゲシュタルト崩壊したので今日はここまで。

2021-07-01

読む・打つ・書く

三中信宏「読む・打つ・書く」を読んだ。
このブログでも一時期よく打っていたが、社会人博士→研究員→教員と身分が変わる中で次第に打たなくなってしまっていた。しかし、こんな本を読んだからには、打たずばいられなかろうものだ。

第1楽章「読む」
元々あまり本を読まない方だったが、2015年に社会人博士になった頃から本に触れるペースがぐんと上がり、現在の蔵書は2000冊ちょっと。年間300冊くらい買って、半分は通読し、残り半分は目次などに目を通して「そこにある」状態にしておく。一冊の本を読むと、数冊の関連書籍がカートに入り、蔵書はねずみのように増殖する。
すべて紙の本で、PILOTの万年筆kakunoでマルジナリアを刻み付けながら、コーヒー片手に読み耽る。文字や図版を目で追い、ページをめくる音を聞き、紙を触り、古書やインクの匂いとコーヒーの味に浸りながら考えごとをする。傳田光洋「サバイバルする皮膚」に書かれていたように、皮膚がリアルタイムのデータを基に構築するモデルと、脳が履歴データを基に構築するモデルの相互フィードバックによって人間が成立していると考えれば、感覚器官を通して入出力される種々雑多なデータを存分に浴びて皮膚側のモデルが使えるデータを豊穣にしておくことが、脳側のモデルの更新にもよいのかもしれない。
探書のときも読書のときも、皮膚が察知した断片的な痕跡を、脳が「知識ネットワーク」として体系化する。本との付き合いは一種のフェティシズムでありたい。

第2楽章「打つ」
松岡正剛氏の千夜千冊に影響を受けたこともあり、書評というよりは、その本を読んで自分が考えたことを記録として打っておくという感じである。bookタグを付けた記事の大半が打った記録なので、250冊分くらいになるだろうか。
数々のマルジナリアを曲がりなりにも一つの文章にするのは、それなりに時間も手間もかかるものの、その時点の自分がどのように消化しようとしたのかがわかるのは面白い。
断片的な個々の読みを、一本の書評として体系化する。ここにも断片から体系へのプロセスが働いている。この過程は、限りなく「考える」に近いと思っている。

第3楽章「書く」
論文という断片を著書として体系化した経験はまだないが、学会での口頭発表のような速報的なものを査読付き論文にまとめる過程は、ささやかではあるが断片の体系化である。また、専門の建築構造分野では研究成果が設計に直結するケースもよくみられるので、論文→著書だけでなく、論文→設計というかたちでの断片の体系化もあるだろう。
建築の構造設計では、法律・指針・力学などの様々な体系に照らして安全であることを示すことが必要になる。すべてを既存の体系の枠組の中だけでやろうとすれば、当たり障りのない無難な設計に留まらざるを得ない一方で(壊死)、チャレンジングな設計をする際に既存の体系を全く無視していては、工学的・社会的・経済的などいろいろな理由で建たなくなる(瓦解)。読む・打つを通して積み重ねた既存の体系との断片的な差分によって体系を更新することが、つまりは書くことであり、壊死にも瓦解にも陥らない活動になるのだろう。

そして、個々の書くを一つの断片とみたとき、書くと書くの間にもまた、何かしらの体系が見出される。これは、読む・打つ・書くの様々な段階で展開される「断片の体系化」の物語ではなかろうか。「存在の大いなる連鎖」の文庫版解説に高山宏氏の曰く、
バラバラになっていく断片相、微分相の世界に、夢(フロイト、シュルレアリスム)、魔術(オカルト、マニエリスム)といった統一夢、融合夢が次々と生じた
アーサー・O.ラヴジョイ「存在の大いなる連鎖」p.641
存在を繋ぐ魔術、存在を繋ぐエコロジー。
同p.642
断片の蒐集とその体系化による存在の連鎖の形成。それはとてもプライベートなプロセスで、フェティッシュなオカルティズムなのかもしれない。

2021-06-21

食前の祈り

食べ物が供されたら、写真を取ってからSNSに投稿し、反応を見た上で初めて食べられる、という風習が存在する。
現前しない存在に食べることを報告し、食べられるものを祝福してくれと願うという意味では、あれは一種の食前の祈りなのだろう。
網の目の神よ。
ラーメン。

べき論

【べき論(べき-ろん)】
同じ内容が繰り返される議論のこと。
冪論だけに。

p.s.
Exponential argumentというと指数関数の引数っぽくて、
Power theoryというと権力論っぽい(小並感)

2021-05-07

Real / Cyber

  • 自然変換でつながった関手のネットワークはRealである。
    • 特に、人体という、多くのセンサ=関手からなる関手圏を含むネットワークのことを「現実 Reality」と呼ぶのが一般的である。
    • 「現実感」とは、Realityとの同期具合である。
  • 孤立した関手はCyberである。
    • Cyberな関手は、複数がつながることでRealになっていく。
    • 現実との類似性が十分高まった段階でVirtualとみなされる。
  • 何らかの「近さ」を捉える仕組みを「空間」と呼ぶとする。
    • Cyberな空間では、Realityの空間とは異なる近さの捉え方を定義することで、空間的なギャップを変えることが可能になる。
  • 何らかの「変化」を捉える仕組みを「時間」と呼ぶとする。
    • Cyberな時間では、Realityの時間が捉えた変化を見逃してしまうことで、時間的なギャップが生じ得る。
    • 「リアルタイム」とは、Realityの時間とのギャップが無視できる様である。
  • 何かと何かを比べたとき、どのくらい同じかを見るのが「空間」で、同じでなくなることを見るのが「時間」であるから、両者は「同じさ」を軸につながっている。
    • Realityでは、人体が「同じさ」を決めるベースになっている(環世界)。

2021-05-04

土偶を読む

竹倉史人「土偶を読む」を読んだ。

これと並行して西郷甲矢人、田口茂「〈現実〉とは何か」を読んでいたので、圏論風に整理してみる。

ひとつひとつの土偶は情報のネットワークであり、土偶同士の関係性はネットワークのネットワークになっている。ネットワークのネットワークをつなぐ関手は、考古学を始めとする諸学問によって次第に明らかになってきているが、土偶以外のネットワークとのつながりはいまいち明らかでない。

一方、フレイザー「金糸篇」などの先行研究によれば、植物霊祭祀というかたちで、植物の関手から何らかのシンボルの関手への自然変換が存在するのが一般的である。縄文時代の食用植物や貝類についても、土偶と同様に、ネットワークのネットワークをつなぐ関手はある程度明らかになっているにもかかわらず、植物霊祭祀という自然変換の痕跡は見つかっていないとされている。つまり、座標系はわかっているのに座標変換はわかっていない状態である。

本書が主張するのは、土偶こそそのシンボルであり、イコノロジーという座標変換=自然変換によって土偶と食用植物・貝類が結ばれているということだ。

検証はとても丁寧に行われており、イコノロジーによる座標変換は概ね整合性を保てているように思われる。もちろん、屁理屈を捏ねれば土偶とは全く別のシンボルが存在した可能性は0ではないが、時代的・地理的な構造をかなりよく保つ変換が構成できているので、土偶とそのシンボルはほとんど同型なのではないだろうか。同型を除いて一意な場合、そのような仮想のシンボルはオッカムの剃刀で刈り取るべきである。

専門分化したアカデミズムは、座標系の構成に注力してきた嫌いがあり、座標変換レベルの引いた視点での研究は、半ば意図的に避けてきたように思われる。それは、圏論的な発想が欠けていたことの現れなのかもしれない。要するに、何を押さえれば座標変換レベルの仮説が検証されたとみなせるかがわからないから、従来のアカデミズムはこういうものにお墨付きを与えられないのである。

個人的にはかなり面白かったので、一過性のバズで済まされずに、しっかりとしたレビュー(re+view)がなされてほしい。



2021-02-18

ステッピングモータ

とあることにステッピングモータを使うことになったので、ラズパイで制御してみる。
ステッピングモータ28BYJ-48とドライバボードULN2003のセットが3個で700円と破格なので、試すのにちょうどよい。本来はモータの電源はラズパイとは別に取らないといけなさそうなのだが、ラズパイから直接取っても一応動く。
プログラムはpython + rpimotorlibで。ハードとソフトについてすべての説明が書かれたインストラクションがあるので、動かすだけならすぐである。
もろもろ込み込みで65mm角にレイアウトできたので、3Dプリンタでケースを作ってパシャリ。



2021-01-26

六白のまだら


モー正月も明けて久しい。
ホルスタインにはフリーシアンや六白牛という呼称があること、実は地が黒で図が白なのだということなどを学んだ。
タイトルは平田森三「キリンのまだら」から。

2021-01-25

1+2+3+4+1×2×3×4

=10+24=34
ということで34になった。
(去年はフィボナッチ数列の和の方を使って、0!+1!+2!+3!+4!を今年用に残しておくべきだった…)

こちらはすっかり書かなくなったが、考えごとはScrapboxに時折残している。あちらこちらに気軽にリンクが貼れて便利だ。

最近は、模型/モデル/modelについて考えることが多いだろうか。他には、3Dプリンタ/スキャナやIoTセンサをどう使っていこうかなど。現実realの発している大量のデータを取り出せるようになったとして、それをどのように扱うべきか。人間が理解するためには、やはり適度に情報を圧縮compress/縮減reduceする必要がある。時間的/空間的により高精度/高精細にデータdataを取り出した上で、適切なかたちformを与えて情報informationにする。そのプロセスを繰り返すうちに生じる偏りが流儀modeとなり、モデルmodelが彫琢されるのだろう。データdataの源source/originである(あるいは、源だと仮想される)現実realityと、モデルmodelの関係や如何に。そこには当然、かたちformを与える視点の在り方が関わっている。つまりは、データdataのどことどことが、どういう点で似ているsimilarと見たか、だ。解像度を上げていけば同じに見えたものはいくらでも分解していくので、同じsame, homoではなく、類似similar, homeoでよいのだ。アナログanalogueとは、この連続性への信仰である。データdataはデジタイズdigitizeされているとは言え、視点perspectiveや解像度resolutionに応じてアナロジカルanalogicalに世界を見るということだ。

最近やっと気付いたのは、構造力学というよりは、かたちに興味があるのだなということだ。form, format, formula, formation, information, deformation, ...。ただし、fromageはあまり好きではない。