2018-06-23

天空の矢はどこへ?

森博嗣「天空の矢はどこへ?」を読んだ。

かつて、「神」という絶対的な理由がいた時代と場所があった。そこから数百年をかけて、人間が自分達で作った理由で埋め尽くす方向へ、少しずつシフトしてきた。それは自然を人工に置き換える行為であり、つまりは「理解する」ということだ。

一つひとつの理解は単純でも、それを続ければ膨大な数の理解が積み重なることで複雑になる。複雑化した人工はやがて新たな自然となり、それを理解する過程において、元の人工性は忘却される。そうしてウォーカロンは人間になるのだろう。農作物が自然食品と呼ばれるのと同じだ。

ここから先、人間は理由の担い手であることを放棄する方向に進むだろうか。次に理由を担うのは人工知能だろうか。そもそも個は理由を必要としなくなるだろうか。いずれにせよ肉体に紐付けられた個々の意識は薄れることになるが、共通思考の志向する方向とは一致するように思う。

イシカワの社員、カンナ、マガタ・シキ。
あるいは、人間、人工知能、神。
それぞれの天空の矢はどこへ行くのだろう。

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