2020-01-25

1!+2!+3!+4!

=1+2+6+24=33
ということで33になった。
あるいは、フィボナッチ数列の和で、
1+1+2+3+5+8+13=33
でもよい。
そろそろネタがないと言っていた割に今年は2通りの式が見つかったが、34は本当にネタが思い浮かんでいない。

少し前からサウナに行く機会が増え始め、スカイスパ、トンボの湯、しきじ、用宗温泉などを訪れたのだが、最近サ道のドラマを観て正しい入り方を学び、LaQuaに初めて行ってみた。3種類のサウナで4セット、東京ドームを見下ろしながらの外気浴も満喫した。体中の産毛が総立ちになるような触覚とともに、「美しき青きドナウ」を聴き、ドームシティの夜景を見るのはなかなかに優雅なものである。ほどよい疲れと心地よさを覚えながら食べた「京都高台寺 よ志のや」の素揚げ野菜カレーうどんもまた格別であった。あそこは天国かなにかだ。

サウナ界隈で「ととのう」と呼ばれる状態は、自律神経系が撹拌されて再び落ち着くまでの一連のプロセスを言うのではないかと思う。スノーグローブのようなイメージだ。粒子が舞うときの煌めきのようにギラついた感覚で環境に感応するという点では、サ道もまた茶道と同じように、日頃の稽古を通じて日日是好日を目指すものなのかもしれない。

2020-01-22

断片的なものの社会学

岸政彦「断片的なものの社会学」を読んだ。

判断できない状態を避けようとして、世界を分かつことでわかろうとせずにはいられない。わかりやすくしようとすればするほど、状況はシンプルな一つの物語へと削ぎ落とされ、世界はのっぺらぼうに分かたれる。こうして世界の一次近似としてマジョリティが現れるプロセスの暴力。でも、それをしないでいては暮らしが成り立たない。
人間の処理能力は、世界を圧縮せずに把握できるほど高くない。
An At a NOA 2018-12-15 “抽象の力
分かつことが集団を壊死に近付ける一方で、分かつことをあきらめれば集団は瓦解に向かう。壊死と瓦解の話を書いてから、もう二年半が経つのか。その一年ほど前から、ずっとこのことを考え続けている気がする。

断片的なものがなくなった世界はユートピア=ディストピアであり、そこは物質感がなくとてものっぺりした世界だろう。dataからinformationへの圧縮の仕方が一意に決められてしまい、除数を変えて割り直すことのできない世界。とてもシンプルで究極的にわかりやすい世界だが、そこに人間がいることを想像するのは難しい。

割りっぱなしでもなく、割らないのでもなく。割り切れないものをどう割るかの試行錯誤。それを文章にするのはとても難しいと思うのだが、よい本であった。

坂田一男 捲土重来

東京ステーションギャラリーで「坂田一男 捲土重来」を観てきた。

抽象絵画に物質感があるのはどういうことなんだろうか。構造を抜き出して表現するのであれば、絵の具やキャンバスの質感を拭い去り、シンプルな形の構成に徹するのではないか。そんなことを考えながら絵を眺めていた。

しかし、2階の展示室に降りてきて冠水の話を読んだとき、そのあたりのことが腑に落ちた。抽象絵画で涙が出たのは初めてのことだった。たしかに、一つの対象を、一つの空間と時間において、一つの観点から抽象するのであれば、シンプルな形の構成のみで表現することも可能かもしれない。そうではなく、さまざまな対象、空間、時間、観点を含む抽象を一つの絵で表現することを試みた結果、抽象は重なり合い、作品が物質感を帯びる。

すべてがシグナルなのではなく、多分にノイズを含んでいる。ある観点からのシグナルは、別の観点からすればノイズであり、その逆もまた然りだ。抽象の重なりによる雑多さ、わからなさ、複雑さというものが、つまりは物質感なのではないだろうか。まさに岡崎乾二郎が「抽象の力」で描いた抽象美術の方向性そのものが、本来的に物質感につながっている。

2020-01-19

日日是好日

「日日是好日」を観た。

稽古の何たるかが詰まったような作品であった。

字通で「稽」の字を引くと、「神意を考える、かんがえる。卟と通用し、くらべる、うらなう、とう。」とある。考古学の「考える」が体系化された論理による解釈であるのに対し、稽古の「稽える」は身に付けた作法による感応であるように思う。古くから伝わる情報に接するという点は共通していても、考古学と稽古には、語ると示すのような違いがある。学ぶは真似ぶ。習うより慣れろ。

武田先生の「初めに『形』を作っておいて、その入れ物に後から心が入るものなのね」という台詞にある『形』はつまり作法である。稽古を通じて『形』が整い、身体が環境に感応するようになった暮らしこそ、日日是好日なのだろう。

2020-01-02

ウロコ


明朝体のウロコを使ってネズミ。
「子」はちょっと控えめに。