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2019-09-05

金沢

学会で金沢に来ている。
発表は初日に終わったので、昨日は市内を観光していた。M1の冬に来て以来だから、およそ10年ぶりか。

最近、能を観に行くようになったので、能楽美術館に行きたかったのだが、あいにく展示替え中。6日には次の展示が始まるようだが、6日の午後はロボット溶接のPDを見に行く予定なので、残念ながら今回はパスだ。県立能楽堂も中に入れず。

鈴木大拙館はやや人が多かったものの、谷口吉生さんらしいディテールや空間が、哲学者のための建築として非常にマッチしていた。ああいう場所でひねもす本を読み、考え事をできたら、いかばかりか幸せだろうか。

兼六園やひがし茶屋街にも足を運んだが、10年前とあまり変わらない印象だ。それはそれで、長年続いているもののよいところである。ひがし茶屋街へ歩く途中、森八本店で菓子木型美術館なるものを見つけ、帰りに寄ってみた。流れているクラシック音楽とはあまりマッチしていないが、千点以上の木型がぎっしりと並べられた様は圧巻で、思わず見入ってしまう。木型という発想自体は同じものの大量複製に通ずるが、木型そのものは手作業による一品生産であるという、オリジナルとコピーの対比が面白く、やはりオリジナルとみなされるものだけが展示に耐えるのかもしれないという考えが浮かぶ。

金沢21世紀美術館に戻り、佐藤浩一氏の「第三風景」を観る。性と身体を奪われたイチジクを通してユートピア=ディストピアを描く展示は、最近読んだ「幸福な監視国家・中国」で取り上げられていた功利主義の果ての反自由主義ともテーマを共有しており、なかなか楽しめた。原子、細胞、身体、家族、国家、…、どのレベルにおける個体を重視しているのかを意識すべきなのだろう。メインの粟津潔氏の展示は、あまりに混んでいたので回避。

2017-09-12

旅先の感覚

広島、タイと旅が続いた。

広島は建築に携わってから初めて訪れた。
原爆ドームの前に立つと、むき出しになった鉄筋や
鉄骨部材による補強といったディテールを、専門家
として部分化しながら見てしまう一方で、元安川の
眺めやかすかな磯の香り、広電の走る音、観光客の
賑わい、まだ夏らしい木漏れ日といった多くの感覚を
一つの全体として感じながら、高二のときに歌った
「祈りの虹」を思い出す。

タイでもやはり、空港や工場、マーケットに行くと
架構やディテールが気になってしまうのだが、最初に
外に出たときの日本とは少し違う暑さ、鉄が削れた
匂い、いろいろな食べ物の香り、スパイスの辛さ、
仏像に金箔を貼ったときの触り心地、ヨットの上で
感じる風と海の暖かさ、象に乗って揺られる感じ、
新旧の友人との会話、マッサージの気持ちよさ、
あらゆる感覚を大事にしたいと思いつつ過ごす。
工場で環境に関する取り組みを聞いた翌日、夕暮れの
ヨットの上で心地よい風が抜けるのを感じながら、
こういう建築がいいんだと話していたのが印象的だった。

こういった旅先の感覚を、写真や言葉を使って部分化
して圧縮することでしか外部に保存できないのは
もどかしいが、そういった外部化はまったく無駄なの
ではなく、むしろ内部において再現するためのよすが
となるように、再現する当の感覚を得る妨げとならない
範囲で、いろいろな方式で抽象しておくのがよいのだと思う。

2017-05-29

長崎旅行2017

約三年振りに長崎へ行ってきた。

あまり足を伸ばす時間もないので、歩いていける範囲で
前回行けなかったところに行ってみた。
亀山社中記念館一帯、興福寺、日本二十六聖人記念館と
聖フィリッポ教会、諏訪神社。
途中、ニッキー・アースティンでトルコライスを食べ、
大和屋でコーヒー豆を買う。
最近、行く先々でコーヒー豆を買っている気がする。

16時前には見終わったのでもうホテルに行っても
よかったのだが、散歩をしに山手一帯へ。
松が枝のターミナルに豪華客船が寄港しており、
大浦天主堂のあたりは中国人が多かった。

五島うどんを食べてからホテルにチェックインし、
風呂に入ってAlphaGoの最終戦の動画でも見ながら
部屋飲みするかと思っていたら、友人からからあげと
餃子のいい店の情報をもらったので、ちょっと夜の街へ。
とり福で生中とからあげ、雲龍亭で生中と一口餃子だけ
注文して長崎の夜を堪能する。

前回とはまた少し違った長崎の旅になった。
市内を歩いているとき、ふとした瞬間に切り取られる
斜面に立つ家並みに長崎らしさを感じる。


2017-04-23

札幌

研究発表で札幌へ。前回札幌に来たのはまだドームができる前だったから、もう20年振りくらいか。

北海道は車がないと観光できる場所が限られる。そして、4月末の札幌は、まだ春というよりは冬の終わりに近い。あと一週間もすればいろいろ開くのだけど。

土曜日の朝は北大の植物園へ。温室しか開いていないようなので、近くだけ通りすぎて北海道庁の旧庁舎の方へ歩く。小雨が降っているのだけど、いろいろスケジュールを考えて、今日のうちにモエレ沼公園へ行くことにするが、その前にちょっと早いお昼で味の時計台に寄る。これを食べるとなんとなく札幌に来た感じがするのだ。電車に乗る前に時計台を見ると、20年前よりも観光地っぽくなっていた気がした。

環状通東駅では30分近くバスを待つことになったが、13時半過ぎにモエレ沼公園に到着。川沿いにアオサギやカラスは多いのだが、雨上がりのせいか人は全くいない。施設もほとんどは来週からのようだ。アスファルトに並んだミミズの死骸を避けながら、ガラスのピラミッドまで辿り着く。
鉄骨のトラスや張弦梁とガラスでできた覆いの下にいると、ベンヤミンのパサージュ論を思い出す。水晶宮は万博会場、パサージュは商店街であり、百貨店からショッピングモールへと至る系譜をなしており、いずれも空間的な隔たりを超えてあらゆる物を集積した場所である。モエレ沼公園は元々ゴミ処理場だったらしく、物の残骸が集積した場所の跡地だと思うと、ピラミッドという墓であるのと同じくらい、パサージュであることが妙に良いモチーフになっているように感じる。

札幌駅の近くまで戻り、一旦宿にチェックインした後、17時過ぎで少し早いのだけど、晩ごはんを食べに奥芝商店へ。17時半前に着いたのに30分くらい待ったが、ここのスープカレーはめちゃくちゃ旨かった。肉も野菜もヴォリュームがあり、かなりお腹いっぱいになる。大丸の地下で小樽ビールとサッポロクラシックを買い込んで宿で一杯、そして就寝。

日曜日は午前中に研究発表。初稿提出から発表まで半年以上かかるのは査読付きだから仕方ないが、arXivみたいな仕組みで回っている分野もあることを思うと、どうなのかとも思う。まあそのゆっくりさが建築にはあっているのかもしれないが。
発表後、北大の総合博物館に寄ってみると、展示内容がすごく充実していた。早足でしか見れなかったが、数時間かけて見られるレベルだ。キャンパスの中も自然が多いのはもちろんのこと、古い建物もたくさん残っていてよい雰囲気だった。

お昼は奥芝商店の隣りにある一粒庵にしようと思ったのだけど、日曜は休みだった。大通公園の方に歩く途中で久楽というラーメン屋を見つけたので入ってみる。やはり札幌は味噌ラーメンである。できればすみれにも行きたかったが、また次回。

大通駅から円山公園まで移動し、北海道神宮へお参り。神社と公園という組み合わせは氷川神社と大宮公園を思い出させ、どことなく懐かしい気持ちになる。公園内の桜はまだまだ咲いていないが、陽射しはもう春のそれである。円山動物園のあたりまで散歩して折り返してくると15時前。近くに森彦という木造民家を改装した喫茶店があるようなので
行ってみたが、案の定混んでいる。森の雫というオリジナルブレンドの豆だけ買って帰ってきたが、内観も外観もとても良い味を出していたので、今度は店内で飲みたい。

味噌ラーメン、スープカレーは食べたが、ジンギスカンを食べていないし、サッポロクラシックを生で飲んでないなと思い、少し早めに空港に行き、これらを達成する。大分満たされたのであとは帰るだけだ。
先週から読み始めた「カラマーゾフの兄弟」は、この旅で一巻を読み終え、二巻に突入した。ゴールデンウィーク中には読み終えたい。

2017-03-11

石巻

今日は石巻へ行ってきた。

設計に関わった物件が竣工して約1年になるが、
ちゃんと使われているようで安心する。
ちょうど明日で震災から丸6年になるので、
法要の準備をしている方にもお会いした。

近くにある情報交流館では、小学生が避難訓練に
併せて震災の学習をしていた。
低学年の子はちょうど震災の頃に生まれたはずだ。

夕方、震災前から建っている古い木造住宅をセルフ
ビルドで改装している現場に立ち寄ったとき、おなじみの
「新世界より」の第2楽章が流れる。
ドヴォルザークの感じた新世界。
貴志祐介やハクスリーが描いた新世界。
そのいずれとも違うが、震災後もまた一つの新世界である。
土地の嵩上げ、高台移転、堤防設置等、工事が進み、
以前とは少しずつ違ったかたちで景色が形成されていく。
同じ轍を踏んでもいけないし、過去と断絶するのも違う。
震災後の東北では4件ほど設計に関わったが、東北に
来るたびにその種の難しさを感じる。

p.s.
上野駅からの帰りに、そう言えばと思い立って
キャンパス内を通ると合格発表の掲示が残っていた。
もう12年も前のことである。

2017-03-06

高知

仕事で高知に行ったついでに観光してきた。

牧野富太郎植物園と高知駅で内藤廣の建築を目の当たりにしたのだが、内藤さんはやはりものづくりに対して正直だなという印象を受ける。鉄も木もRCも、必要であれば必要なところに使い、ディテールも力学や作り方がよくわかるように思う。こういうのは一歩ずれるとあたりがきつくなるいうか、疲れを感じさせる類の居心地の悪さをもってしまうものだが、2つとも地元の方にも親しまれているようでさすがだな、と。

展示はさっとしか見なかったのだが、牧野富太郎の植物画がものすごくきれいで印象的だった。中庭の感じや五台山から見渡す景色も心地よく、早くも咲き始めていた桜の花に微笑ましさを覚えた。



近くには堀部安嗣設計の納骨堂もあり、こちらも小振りながら端正な佇まいであった。


こういう建築が受け入れられる一方で、神林長平が言うところの〈田舎〉という装置も強くはたらいているらしく、建築のみならず、地方特有の難しさを感じる。人よりもモノが移動するようになる社会において、情報も移動することで、ある程度の流動性は保つ必要があるように思われる。

つまりはコンシステンシーの問題なのだが、論理学で言うところの一貫性の低さが、土質力学で言うところの流動性の高さを意味するというのはとても示唆的である。

2017-02-24

野沢温泉

10年振りに野沢温泉でスキーをした。

10年前に泊まった宿はまだあったけど、
10年前にはなかった北陸新幹線を使ったし、
10年前にはなかった里武士でビールを飲んだ。

街中もゲレンデも外国人が増えており、アジア圏よりも
欧米人の方が多いのが特徴的だ。発音から判断するに、
オーストラリアかニュージーランドあたりから来ている
のだと思われる。
東京から2時間くらいで着くし、スキーも温泉もお酒も
あるのだから魅力的なはずだ。
(でも、外湯は彼等には熱すぎるようで、もっとぬるい
ところはないのかと聞かれた)

そのうち、スキーやスノボもVRで体験するようになって
しまうのだろうか。それを言ったら、温泉やお酒だって
VR化することは可能であろう。
でも、そういうことではないのだ。
抽象化をしないままのその行為に耽りたいのである。
それが趣味というものだ。
An At a NOA 2017-01-24 “何かを抽象化する

2016-08-24

苫小牧→函館→博多

土日は苫小牧と函館にいた。
そして今は博多にいる。

函館を訪れたのはもう7、8年振りだった。
大学のときに家族旅行で来て以来だ。
函館駅は、外観こそ変わらないものの、新幹線の開業に
合わせてショッピングモールが新しくなっていた。
それでも、朝市でイカやメロンを食べた後、十字街から
ハリストス正教会や元町公園へ抜け、八幡坂を下り、
金森倉庫まで歩きながら写真を撮っていると、
変わらない風景も多く、少し安心する。

帰りは台風11号とニアミスをしながら飛行機で東京へ。
月曜日には東京で台風9号に襲われる。
そして火曜日には福岡空港へと移動。
火曜の夜に博多の旧友が連れて行ってくれた店では
名物のイカがシケのせいで入荷しておらず。
なんだかここ数日間は、行く先々で台風に振り回されている。






2016-04-03

御柱祭2016

諏訪大社上社の御柱祭に参加してきた。
全力を発揮すると翌日に筋肉痛がくる程度には
まだ代謝が落ちていないようだ。

前回の2010年にも参加して、そのときは木落としを
やらせてもらったのだが、今回は本宮四ノ柱の山出し
前半部分の曳行をやらせてもらった。
4/2朝7:30曳行開始。やや雲はあるものの晴れ間が
広がり、東の空には八ヶ岳が気持よくそびえていた。

綱置場〜一番塚〜柳沢の交差点あたりまではかなり平和で、
日本酒やビールを飲みながらヨイサと声を出す。
辛かったのは土埃くらいだ。

柳沢では男綱が外になるが、その内側にいたので、
男綱が内側に入るのを阻止するために全力で押す。
今見返すと全然角度がきつくないのだが、ダメージはでかい。
そこからはカーブの連続で、男綱が外なら足で押す、
内なら全体重を載せて引く、の繰り返し。
腕よりも小綱を握る手の痛みの方が辛い。
大曲がりを曲がりきる直前でタイムアップで離脱。
土埃と汗で体中真っ黒だった。

柳沢あたりから力を使うようになってわかったが、
掛け声と音楽はあるべくして存在している。
本当に力を発揮しようと思ったら声を出さないと出きらないし、
その力を全員が合わせないと寸分動かないのだから、
タイミングとりに掛け声は最適だ。
やっとこさ動いた後であの音楽が流れるとものすごく気持ちがよい。


御柱祭は数えで7年に1回行われる。
徐々に変化はしているようだが、大枠としては1000年近く
同じままなのだろう。
山から切り出した10tもの大木を人力で神社まで運ぶなんて、
現代の常識で考えれば馬鹿みたいな行為だ。
それを、死者が出てまでも形式を保存するというところに、
ある種の人間らしさがあるのだろう。

意味など存在しなくてよいのだ。理由はいくらでも後付けできるだろうが、
純粋にその形式を引き継ぐこと自体が、一つの全体を作っている。
理屈を積み上げてできたものは、おそらく1000年も続かない。
歴史とは語られた経験であるが、伝統とは語り手が消えた歴史なのかもしれない。


2016-03-21

部分

自然が意識の不在であり、意識が理由付けによって
特徴付けられるのだとすれば、自然が美しいものとして
感じられるのは、そこに理由がないからである。
こういった解釈自体が理由付けになっているため、
この説を正当化する術もないが。

理屈抜きに美しいあるいは心地良いものがまず存在する。
そこに理由を付け足すことで咀嚼し、分解することで
理解することは可能である。
しかし、逆に、そういった理屈や理論を基に組み立てて
できあがったものが美しく心地良いものになることはない。

理由とは全体を部分に分けるための行為であり、
部分を全体になすための行為ではない。

抽象もまた、構造という、異なる事象間の共通部分を抜き出す
行為であるから、全体を切り刻んでいく側である。

果たして全体を所与のものとして受け取る以外に、
創り出すことは可能だろうか。
もしかすると、儀式のような形式の伝承がそれにあたるのかもしれない。
形式は決まり事の連続である。その決まり事を、理屈を理解することよりも
伝承すること自体を最優先事項とし、代々受け継ぐことで少しずつ
変容しながら伝わっていく。
そうして得られるものは全体になりうるのかもしれない。

近代科学の態度はすべてに理由を付けることを究極の理想としている。
それにより、あらゆるものは部分に分けられ、全体はその組み合わせで
成立するものと仮定される。
一般人の生活にもその思想は既に浸透しており、現代ではもはや
あらゆる場面で個が優位を占めているように思われる。
それは都会に近づけば近づくほど顕著だ。

この三連休、山形に赴き、ここで育った方々にたくさん出会った。
地域振興をしている青年、小国の金目マタギ、旧尾形家住宅の子孫、
かみのやま温泉下大湯に通って40年のおじいさん、田麦俣の名も無きおじいさん、
注連寺の和尚さん、酒田の一家、銀山温泉のかじか湯で一緒になったおじさん、
尾花沢牛ラーメンを食べた柏屋の店員さん、西川町役場の方々、
西川町猟友会のハンターの皆さん、大井沢の民宿を営む夫婦。
この旅でお会いした方々は、それぞれがそれぞれの全体を受け継いでおり、
その量はおそらく都会の人間よりも多いと思われる。
全体は一度失われると再構成するのに長い時間がかかるのだ。
近代科学の徒である現代人は、おそらくそれに気付いていない。
気付いていないというよりも、部分を集積することが全体だと信じている。

全体の中には数多くの部分が見い出せる。それは人間の叡智の勝利だ。
しかし、見出した部分をかき集めても全体にはならず、部分の掃き溜めに
しかならないことには注意すべきだ。
理屈で語られた全体には、恍惚を感じることなど不可能である。

2015-11-03

まだ照り初めしもみじ葉の

ふと堂に入れることに気づき、
人気も少ない暗闇の中、堂の戸をゆっくりと開く。
既に夜も深いので、堂の内外での明暗の差はない。
敷居を慎重にまたいで、静かに戸を閉める。
ふと見上げると暗闇に浮かぶ黄金が現れる。
仏のようであるが名はわからない。
伏し目がちに正面まで歩を進め、その名を確かめる。
ゆっくりと見上げた先には、想像したとおりの、
だが温かいようで同時に薄ら寒い薬師如来像の顔が浮かんでいる。
2015年11月3日、齢二十八も半ばを過ぎて初めて、
恐れという感情がどのようなものであるのかを体感した。



朝は予定通り5:30に起床。
その後はスムーズにいき、チケットをとっていた新幹線よりも
一本前のものにして京都へ向かう。
車中では先日友人に勧められた森敦の「月山」を少しずつ
読み進める。
翌日に守山への出張が入ったため、急遽京都に前泊することにした。
久々の観光旅行である。一人旅はちょうど一年前の京都以来かもしれない。
土日に調べて瑠璃光院と蓮華寺に行くことを決めた以外は特に決めていないまま
京都駅についてしまった。
とりあえず荷物を軽くして烏丸線国際会館駅から大原方面のバスで
八瀬の辺りへ。
バス停から案内を頼りに瑠璃光院に向かうが、同じバスから降りた
ご夫婦以外は人がいない。本当にマイナな観光地のようだ。
瑠璃光院は山の斜面にそのまま建てたようなお寺で、高低差を利用して
幾つかの堂が建っている。
上から順にということで、瑠璃の庭を2階→1階の順に見た後で、
臥龍の庭を見ることになる。
紅葉はまだまだ盛ではないが、人もそれほど多くなく、
きれいな景色をゆっくりと見られるのがとても良い。

瑠璃光院を出たところで、延暦寺か大原の方へ向かうことを検討するも、
やはりそのまま蓮華寺へ。
蓮華寺は瑠璃光院以上に人が少なく、拝観料も安いというのに、
庭の美しさは瑠璃光院に引けをとらないくらいであると思う。

瑠璃光院と蓮華寺を見たままに撮れたら写真をやめてもいいと
書いている人がいたが、その気持ちもよくわかる。
いつか紅葉真っ盛りのときに訪れたいものだ。

蓮華寺を見終えた段階で12時過ぎ。早くも予定が終わったので
次の目的地を探す。正直この2箇所がまわれただけで
今回の京都旅行は大満足である。
秋の特別拝観をやっている中で近場ということで
慈照寺に決めてバスで移動。バス停を降りた辺りから
不穏な空気を感じるが、とにかく入り口まで行ってみる。
しかしというかやはりというか、案の定観光客が多く、
先ほどの2箇所とは全く違う雰囲気に、入って早々見る気が失せる。
写真を撮る気もなくなりかけていたが、慈照寺と言えば
建物よりも砂の庭だというイメージが強かったので、
そちらに集中する。慈照寺の波は見事だ。

結局特別拝観は予約が一杯で夕方まで待つようだったので諦め、
哲学の道を南行する。
あてもなく哲学の道の果てまで来た段階で、
去年結局行けなかった東福寺に行こうと思い立ち行動開始。
しかし、ここまで来てメジャーどころにいくのもどうなのかと思い始め、
いろいろと検索すると光明院というお寺がよさそうだという情報が。
そしてまたしても東福寺を諦め、日暮れ時の16時前に光明院に到着。
昭和時代に設計された比較的新しい庭園とのことで、
ところどころにモダンな感じが感じられなくもない。
個人的な違いとしては、朝の2つの庭は間違いなく横位置で撮りたい庭で
あるのに対し、この庭は縦位置の方が納まりがよいと感じる点だ。

今回の京都旅行は、今まで訪れたことのないマイナなところをまわり、
フレーミングされた庭を落ち着いて眺めることが多かった。
畳、障子、欄間によってフレーミングされた庭を、
さらにファインダでフレーミングするというのは何か不思議なものである。
そういえば、ファインダというのは森敦が言うところの倍率1倍の望遠鏡たりうる。
90mmを構えている時にどうも違う感じがするのは、
換算135mmという焦点距離が、私の現実に接続しないからなのだろう。
かといって換算35mmの23mmもちょっと違う気がする。
換算50mmが仮に倍率1倍のレンズだったとして、それによって切り取る写真は
他のレンズの場合と何かが違うのだろうか。

そんなことを考えながら京都駅からホテルまで歩く。
強烈に腰が痛く、一刻も早く休みたいのを耐えながら。
大浴場で一休憩後、晩ごはんを終えて東寺の夜間ライトアップへ。
ISO1600で撮っても黒がちゃんと締まってくれるあたりはさすが富士フイルムである。
ライトアップされた五重塔は、闇夜に変に浮かび上がり、
もはや何かの模様のようでもある。

そしてオープニングの金堂へつながる。
期間が始まって間もない東寺のライトアップは人も車もまばらで、
臨時駐車場のあたりは星がよく見える。
東の空に上がり始めた冬の大三角を見上げながら、
恐れを噛みしめて帰路についた。

2014-05-04

勝沼

外は早も夏日だというのに、
大日影トンネルの中は肌寒い。
全長1.4kmのトンネルの中程は
蛍光灯のあかりのみに照らされ、
気温は10℃あまりしかない。

前日の晩に思い立ってから約12時間。
新宿から電車で2時間あまり、1500円くらいの位置にある
勝沼ぶどう郷駅に来ていた。

ゴールデンウィーク後半の初日だったが
それほど人混みに溢れかえっている様子はなく、
同じ電車で降り立ったのは数人程。

家を出る時間が少し遅くなったこともあり、既に日は高い。
やはり帽子を被ってくるべきだったかと後悔するが、
むしろ予定の場所を回りきれるかが心配だ。

線路沿いに東へ進むと程なく大日影トンネルの入り口が現れる。
入り口の手前から空気は冷たさを増していき、
100mも入ると別世界である。
線路やPC製の枕木の雰囲気がまだ新しさを残している中で、
レンガ積みのトンネルだけは近代遺産の風格を帯びていた。
出口に近づくに連れて外気が暖かさを取り戻すのが、
そこはかとない幸せを覚えさせてくれた。

トンネルを抜けたところにある、トンネルを利用したワインカーヴを
少し覗かせてもらい、甲州街道を下る。
ヨーロッパ式の栽培方法だとぶどう「畑」という感じがするが、
日本式の栽培方法の場合はぶどう棚という言葉が似合うなと思う。

勝沼堰堤は意外なほどに迫力があって、立ち寄ったかいがあった。
これほどの規模の土木工事を成し遂げたことに感心する。
このあたりでなぜか「夏は来ぬ」が口をついて出てきたのだが、
それほど暑かったのだろう。

それから大善寺、ワイン博物館、宮光園と次々と回る。
大善寺だけかと思いきや、街中でも本当によく藤が下がっているのを見かける。
勝沼の住宅の3割くらいは庭に藤棚があるんじゃなかろうか。
ワイン博物館の館長さんに色々と話を伺い、蒼龍、大泉、原茂あたりの
ワイナリーに寄ることに決めた。

宮光園の向かいがメルシャンだったので一応メルシャンにも立ち寄る。
庭がきれいで、遠景に青空と山々を控えた芝生の感じは大変絵になっていた。
メルシャンのワインは去年のマリコヴィンヤードのときに色々飲んだので、
また今度ということで。

そこからワイナリーを2件はしごして計3本のワイン4kgを抱えながら
いざぶどうの丘へ。(結局大泉は立ち寄らず)
既に17時を回っているので腹ごしらえをするためにまずはほうとう料理屋へ直行する。
鍋一つは結構な量だったが、野菜たっぷりでとても美味しかった。
そして天空の湯に浸かりながら日が暮れるのを眺め、
ワインをもう1本買い足して勝沼に別れを告げる。

前日に思い立ったわりには色々と見て回れたし、美味しいものも食べられ
温泉にも浸かれたので大変充実した一日になった。



2014-02-23

長崎旅行2014③

2014/2/14〜2014/2/16 長崎

【2/16(日)】
最終日、7時過ぎに目を覚ます。
脚は痛いが思ったほどではない。

朝食を済ませ、9時頃にチェックアウト。
実はまだ今日のルートが決まっていない。
軍艦島に行くか行かないか。それが焦眉の問題だ。

大きな荷物をホテルに預け、取り敢えずオランダ坂の方へ歩き始める。
途中、インターメディアの設計したガソリンスタンドを覗いた。

東山手一体の洋館を見つつ、十人町の方へ抜ける。
十人町では迷路の様に家の間を坂が駆け巡っていて、
坂の中に家が立っているような場所だ。実に面白い。

海星高校のあたりや6軒の東山手の洋館を抜けて
石橋の電停あたりまでおりる。
グラバースカイロードという斜行エレベータに乗り、南山手に突入。
南山手には猫が多い。
グラバー園に第2ゲートから入ろうかとも思ったが、
祈念坂を抜けて大浦天主堂の方へ回る。
大浦天主堂の入り口にて偉大な背中その3。
旧羅典神学校を抜けてグラバー園へ。
グラバー園へ至るルートとしてはこれが良いんじゃないかと思う。

グラバー園を一通り見て回りながら、世界遺産登録を目指すパネル展示で
小菅修船場跡を知る。歩けそうなので次はここに行こうと決める。
日向ではまた猫が寝ている。

グラバー園を出てグラバー通りを南へ。
ロシアコンスイ坂をのぼり、ドンドン坂からおりる。
途中にロシア領を発見。

大通りまでおりて、道沿いに10分くらい歩くと
小菅修船場跡が見えてくる。
特に観光地っぽくはなっていないが、かつて船を曳き出すのに
使われていたレールの質感が、海に向けて変化して行く様子がまことに良い。

バスで市民病院前まで戻り、中華街へ。
江山楼本店でお昼を食べようとするが、混んでて待ちそうだったので
先に出島を見ることにする。このとき多分13時半頃。
前回来たときは出島は跡地の説明板だけだった気がするので、
だいぶ様変わりした感じだったが、あまりのテーマパーク感と空腹感のため
あまり覚えていない。

江山楼本店に戻り、長崎ちゃんぽんの特上を食べる。うまい。
既に15時くらいなので、夕陽をどこで見るかを軸にルートを
フィックスしなければ。
元々今回は行けないかと考えていた浦上のあたりにも行くことにして、
平和祈念像→浦上天主堂→爆心地→戻ってきてお土産購入→松が枝ターミナル
の順に回ることに決めた。
そして江山楼に地図を忘れた。

出島の電停から松山町まで市電に乗車。
平和公園までのぼり、平和祈念像と対面。偉大な背中その4。
浦上天主堂、原爆公園を見て回る。
再び出島まで市電で戻り、グラバー園の坂の下のお土産屋さんの並びへ。
既に17時を回っているのでグラバー園は閉園しており、
お土産屋さんもそれほど人は多くない。
福砂屋と岩崎本舗でカステラと角煮まんじゅうを購入。
大トロ角煮まんじゅううますぎ。

松が枝国際ターミナルに行くと、今日は夜にコンサートがあるようで
ミュージシャンたちがリハーサルをやっている。
中を一通り見て回り、外では夕陽を写真におさめる。
なかなか心地の良い場所だなと思った。

ホテルのあたりまで歩いて戻り、白井晟一の設計した親和銀行大波止支店を
見に行く。小振りだが端正な建物だ。
その後ホテルで荷物を引き取り、18:13大波止バス停発の空港行きの
バスに飛び乗り、一時間で空港へ。

空港に着くと案の定大雪の影響で発着が遅れている。
レストランで念願のトルコライスにありつき、長崎に別れを告げる。

2泊3日で25kmくらい歩いたので、ずっと歩きっぱなしの旅だったが、
久々の個人旅行は非常に楽しめた。
誕生日に買った単焦点レンズを使うのが主目的だったが、
存分に力を発揮してくれたと思う。

2014-02-20

長崎旅行2014②

2014/2/14〜2014/2/16 長崎

【2/15(土)】
ソチ五輪フィギュア男子フリーを寝ぶっちした翌朝、
目覚めると7時半過ぎ。
意外と早く起きられたと思いながらシャワーを浴びて
朝食バイキングへ行くと、思いの外混んでいて
少しロビーで待たされることに。

ちょうどロビーには今日行く予定にしていた
出津教会などを含む長崎県の教会の写真集が
置いてあったので手にとってみる。
昨日の夜にランタンに溢れる街を散策しながら
入った書店でも長崎の教会をまとめた本を
見てみたが、出津のあたりには他にも大野教会堂と
黒崎教会がありそうだ。

朝食を食べ終え、9時6分長崎駅前発のバスで一路外海へ。
(後でわかったが、ホテルの目の前のバス停からも
同じバスに乗れたっぽい。)
天気は上々、バスの乗客は少ない。

●大野
バスに揺られること小一時間、大野のバス停に到着。
朝食後、歯を磨きながら読んでいたウェブサイトを信用して
ロクに場所を調べずに来てしまったが、
取り敢えず看板の指す方に歩き出す。
ここで今回の長崎旅行で唯一の雨に降られる。

5分くらいで大野教会堂に到着。当然観光客など一人もいない。
ド・ロ様壁で建てられた小さな住宅のようだ。

ここで写真を撮りながら思ったが、撮りたいと思う絵に
幾つか傾向がある。

角から回折した光が漏れている様子、太陽の半逆光による照り、
逆光で黒く潰れた被写体、、、
今回の旅行は偉大な背中を撮ろうと決めた。

大野教会堂の近くには案内板が出ているのでなるほど道には迷わないが、
大平作業所跡まで1km半、バスチャン屋敷跡まで3km弱。
歩くしかない。

雨で濡れたアスファルトが朝の半逆光に照らされる道をひた歩く。
土曜の朝だからか人も車も全く通らない。
遠くでとんびがピーヒョロロと啼く以外に生きていることを感じさせる
ものは一切存在しない。
いつの間にか伊藤計劃のハーモニーに出てきたスイッチが押されたのかもな
と思えるような、のどかさとも孤独感ともつかない感じにつつまれる。

大平作業所跡は予想通りの廃墟感を帯びていた。
ここに至る小道に唐突に現れたみかんの木が良い雰囲気をつくるのに
一役買っていると思う。
既に屋根は崩れ落ちているため、壁の上が歩ける。
壁の上に立ち、ここから落ちて打ちどころが悪くて死んだら誰にも
気づかれないだろうなという想像が頭をよぎり、大人しく下りることにした。
夕陽の時間帯に来たいなと思える場所だった。

そこからさらに1km半歩く。さっきよりもさらに田舎感が増してきて、
大野のバス停まで戻るのが面倒なのでこのまま出津まで歩きたくなってきた頃。

バスチャン屋敷跡は10m2にも満たないくらいの小屋だった。
旅行前に読んだ遠藤周作の沈黙でロドリゴたちが潜んだ小屋を想起させる。
小屋の中は本当に真っ暗で、入り口の扉を開けていないと空恐ろしさを覚えるくらいだ。
せっかくなのでオラショを覚えてる限り独唱してみた。
――パライゾの寺にぞ参ろやな
モキチが十字架の上で叫んだ節を歌うと涙が出る。

屋敷跡に続く道を戻り、舗装路に出たときに目にした明るい景色。
それすらも望めず、鬱蒼としげる木々の間にひっそりと沈んでいた
キリシタンを思うと、この暖かい土曜の昼の日差しが何とも言えず
贅沢なもののように感じられた。

案内板によると出津まで3.5kmくらいだったので、大野に戻る必要もなく、
そのまま出津まで歩く。
途中、牧野公民館のあたりでおばあさんたちに声を掛けてもらった。
ゲートボールに誘われたが丁重にお断りして、出津はこっちであってますかと
確認したり、埼玉から来ましたと言ったり。
こういう地元の人との何でもない話ができると、この旅をして本当に良かったなと思える。
おまけに最後には甘古呂餅まで頂いてしまった。
この後結局15時頃まで何も食べずに歩き続けることになったので本当に助かりました。
とってもおいしい甘古呂餅でした。

●出津
しばらく道なりに行くとド・ロ神父のお墓が見えてくる。
偉大な背中その2を写真に納める。
そこから割とすぐに出津教会に到着。
大野教会堂でも思ったが、入り口前の白い壁で囲まれた空間への
光の差し込み方がすごく好きだ。

ド・ロ神父記念館と出津救助院が近場にあり、当時の資料の展示などが
されている。記念館で一番目を引いたのはなぜかタップだった。

救助院ではスタッフのおじさんにひとしきり案内をして頂いた。
鉄骨の耐震補強がされていたが、補強前の納まりが恐ろしく簡素で、
地震国でよくこんな納まりにしたなという感じだった。

救助院を出たところで観光客の一団とすれ違う。
そういえばガイドブックに土曜日はツアーがあるようなことが
書かれていた気がした。

歴史民俗資料館には寄らず、近くにある沈黙の碑に立ち寄る。
碑に刻まれた言葉には、ぞっとする迫力を感じる。
どうやったらこんな言葉が紡げるのだろう。
「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」

●黒崎
記念館でもらった地図を見ると、道の駅を経由して黒崎教会まで歩けそうだったので
引き続き歩く。
途中遠藤周作文学館に立ち寄り、展示を観賞。
併設されたカフェで遅い昼食にド・ロ様パスタを食す。
道の駅は素通りし、黒崎教会まで突き進む。
途中に伊藤一長元長崎市長の墓があったのでお参りした。

黒崎教会は今日訪れた教会の中では一番教会然としていた。
ステンドグラスも嵌められていて、夕陽の間接光がステンドグラスを
通して入ってくる様子が何とも神聖な雰囲気をつくりだしていた。

道の駅まで戻って夕陽が沈むのを眺める。
このとき17時を回ったところなので、1時間くらい眺めていたことになる。

生憎西の空は快晴ではなかったが、雲間から漏れる、いわゆる
エンジェルラダーという現象に立ち会えた。
今日一日歩きまわったキリスト教世界を思うと、かえって快晴であるよりも
合っていたかもしれない。
18時6分日没。

18時32分のバスまで少し時間があったので休憩所に立ち寄る。
天井が高く、意外と響きが良かったのでまたオラショを歌う。
相変わらず人はいない。

●稲佐山
夕陽をとっている最中にカメラの電池がなくなってきており、
昨晩充電しなかったことを激しく後悔する。
このまま夜景を見に行こうか一旦充電しに戻ろうか悩んだ挙句、
直接見に行くことにした。
宝町でバスを降り、淵神社まで10分ほど歩いてからロープウェイで山頂へ。

ちょうど満月の夜で、夜20時前の東の空に昇り始めている。
新世界三大夜景の一翼を担う街と同じ方角なのでフレームへの納まりが良い。

●晩御飯
トルコライスを食べたいと思ってホテル裏の洋食屋に行ってみたが
やっていない。ウェブサイトだと23時までやってるはずなのに。

仕方なく浜町の方まで足をのばすと、アーケードでは昨日まで飾られていた
ランタンを撤収している。
トルコライスを探して浜町を2周したが見つからない。
結局福山雅治氏行きつけの思案橋ラーメンでバクダンチャンポンを頂いて
満腹になってホテルへ帰る。

明日は市内をひたすら歩く予定なので、今日の疲労が残らないかを心配しながら就寝。

2014-02-16

長崎旅行2014①

2014/2/14〜2014/2/16 長崎

【2/14(金)】
20時前、長崎のホテルに到着、荷物を置いた後
長崎ランタンフェスティバル最終日に出かける。
県庁前通りを抜けて浜町から新地中華街に入り、
中華街を3往復くらい。
2往復目に角煮まんじゅうを買って食べ歩き。
これがまた角煮がやわらかくうまい。

街中にランタンが釣られていて、ところどころに
大きな人形や動物の形をしたものも置いてある。
湊公園では踊りも催されていたが、そこに飾られた
祭壇はかなりショッキングである。
ロウソクとランタンに囲まれた中に子豚一頭と
数多くの豚の頭部が祭られている。全部本物らしい。

浜町アーケードを抜けて眼鏡橋のあたりへ足をのばすと、
川辺には干支のランタン、水面には鶴や鯉のランタンが
飾られている。

公会堂前から桜町を通り、晩ご飯を食べる店を探しながら
駅前を超えてホテル方面へ。
ホテルの裏の洋食居酒屋でトルコライスを食べようと
思ったが、丁度閉店するタイミングだったようで。
仕方なくホテル横のラーメン屋でチャーシュー麺を食べて
ホテルに帰る。

ソチ五輪フィギュアスケート男子フリーを見ながら寝落ち。
翌朝目覚めると羽生くんが金メダルをとっていた。
おめでとう。

2014-01-11

NZ

Winery 「MATUA」

America's Cup Japan Challenge 「韋駄天」

南十字星


ワインと太陽と星を浴びてきた。