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2018-03-09

KAJALLA#3働けど働けど

KAJALLA#3働けど働けどを観てきた。

6回目にして最前列での観劇となった。感激である。

端っこの席だったので、反対側が見えにくいのはあるが、モニタとスピーカの作り出す視聴覚空間とは違った臨場感がある。劇場という場に臨むと、客席にも舞台にも、そこに、人が、いる。この、「そこに、人が、いる」というのが「場に臨む感じ」なのだろう。

壊しては作り、壊しては作り、壊しては作り。自分で作ったものも、既に作られていたものも、受け継ぎながら更新していくその過程が、「働く」ことである。
壊されなければ、自分で壊せ
壊さなくなったら、作らなくなったら、それはもう死んだも同然である。

人が動いて人を動かす。ぢっと見た手が、その動的な過程を支えてきた。それは、この先いつまで続くだろうか。
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
石川啄木「一握の砂」

2017-03-24

KAJALLA#2裸の王様

KAJALLA#2裸の王様を観てきた。

アンリ・ベルクソン「笑い」にも書かれていたように、
可笑しさによる笑いというのは、共通の基盤があることで
成立する。
孤立した状態では感じられず、文化、常識、習慣、言語等の
基準を共有する受け手の間での共通認識として生じ、反響
しながら広がる
An At a NOA 2016-11-25 “笑い
日本語という言語、日本のお菓子、日本の企業文化、
あるいは昔のラーメンズネタ、などなど。
お客さんとして迎える人間と、どのような事柄を文化や
常識として共有できるかということに非常に気が配られて
いるような気がして、それが伝わってくるのがとても嬉しい。

それは、ある意味では内輪ネタなのかもしれない。
だけど、上記のような可笑しさによる笑いの性質を考えれば、
舞台と客席をこちらとあちらに分けて、こちらがあちらを
笑わせるというよりは、あちらをこちらに巻き込むことで
笑いを引き起こすというのが本来的なのだと思う。

そういう、内輪を拡げる笑いというのを、漫才ではなく
コントというかたちで、しかも第四の壁を破ることをせずに
やってみせるあたりに、小林賢太郎はやっぱりさすがだなと
いうことを感じる。

要するに、めちゃくちゃ面白かった。

2016-07-30

KAJALLA#1大人たるもの

小林賢太郎演出のKAJALLA#1大人たるものを観てきた。

何だかいろいろ、集大成感があってよかった。
手法としては古典的だったり、これまでの舞台で
やられてきていたりするものなのかもしれないが、
その構成の仕方が芸術的に素晴らしい。

ある意味テクニカルな面も多く含んでいるのだろうが、
テクニカルであってテクニカルさを表に出さないという、
これが芸術の本質なのかもしれない、というものを観た気がする。

芸術でも何でもよいが、あるものをつくるという行為は、
その再現性を任意の範囲、任意の精度で確保する行為に
他ならない。
An At a NOA 2016-07-27 “VRのなかでのものづくり
と書いた。
再現性の確保という、繰り返しを前提とした行為でありながら、
同時性と同地性によって一回性をも獲得した行為に対して、
「アウラ」をみるのかもしれない。


…というのは観劇も終わって飲んで帰ってきた後、家で振り返りながら
考えるのであって、観劇中はひたすらに笑った。
何も考えずに笑えること以上に、贅沢なこともないだろう。
今日はありがとうございました。

2016-02-29

うるうびとの計算

閏日なのでうるうびとの計算を振り返る。

トランプの数字の和
 Sn=(1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13)=1/2×13×14=91
これをスートの数だけ繰り返すと
 91×4=364
になる。
これと、365が近いということであるが、ここに必然性はあるだろうか。
スートが各季節に対応していると考えると、91≒30×3(30日×3ヶ月)≒13×7
だろうかということだ。七曜×13週だと解釈すれば、3ヶ月は概ね4×3+1=13週
であるから合致する。
そういえば、なぜ七曜が一般化したのだろう。
wikipediaの曜日の項目にあるように、天動説を基にして
月・水星・金星・太陽・火星・木星・土星の動きに因っているのだろうが。
これは地球から見た角速度の順に並んでいるから、月火水木金土日の順に
並べ直すには4つ先毎に追っていく必要がある(正7/4角形、七芒星である)。
もし、天体観測技術がさらに発展していて、天王星や海王星が観測されていたら
八曜や九曜が普及していただろうか(7に人体由来あるいは自然界由来の
単位があるとは思えないので、可能性はあると思う。7は孤独である)。

赤い玉を引くシーンでは、
101人が集まった「閏年の閏日に生まれた人のお誕生会」の抽選に外れ、
11人が集まった「閏年の閏日に生まれた人のお誕生会に外れた人が
集まって開かれたお誕生会」の抽選に外れ、
4人が集まった「閏年の閏日に生まれた人のお誕生会に外れた人が
集まって開かれたお誕生会に外れた人が集まって開かれたお誕生会」の
抽選に外れたので、
 1/101×1/11×1/4=1/4444
の確率となる。
1996年〜2013年の日付毎の出生数のデータをまとめていたサイトがあったので、
数値を引用すると、出生数の合計が18920654人、うち2/29生まれが12813人で、
 12813/18920654=1/1476.7
となる。1996年〜2013年は18年分のデータで、うち閏年は1996,2000,2004,2008,2012の
5年であるから、5/18=1/3.6となっており、やや多めに出ているはずだ。
(2000年は400年に一度の、100で割り切れるけど400でも割り切れるから閏年になる
希少な年であった。2400年はおろか、2100年でさえ生きているかどうか怪しいのだから、
最初で最後だったろう。)
仮に各日付について、その誕生日となる確率が同一だと仮定すると、
2/29生まれである確率はおおよそ1/(365*3+366)=1/1461であるから誤差は僅かである。
(ちゃんと計算すると、97/(365*303+366*97)=1/1506だ。グレゴリオ暦を採用
したのが早い国でも1582年であるから、400年周期はついこの間1周目が終わったばかり
であるが。そういえば、ロジャー・ベーコンの著作を読んでみたいのであった)
やや不正確ではあるものの、1/1476.7×3.6/4=1/1640.8と
補正した場合でもそこまで大きな誤差ではない。
一応実際の統計データを用いると、トータルでは
 1/4444×1/1476=1/6559344
ということになる。約650万分の1だ。
日本の人口を1億2700万人とすると(私が小学校の頃は1億2000万と習った)、
日本には約18人の該当者がいる計算だ。
意外と多い。ここは少なくとも1/127000000程度になるように引き伸ばすべきだったのでは。

ちなみに、最後にパングラムで
 やすいたくらみ
 おとしあな
 よきせぬふかさに
 つちをほる
 そこのまわり
 ひろめても
 うえへはゆけん
 ねむれ
というものが出てくるが、パングラムというのは本当に難しい。
手前でもと4種類作ったが、どうしても無理している部分というのが
出てきてしまう。主題に沿った内容で全てをやり切っているこのパングラムに
驚嘆してほしい。

何だかまとまったようなまとまっていないような感じだが、
もうすぐ閏日が終わってしまうのでここまで。

2016-03-01 追記
閏日を過ぎてしまったが。
「うるう」の公演で、オリンピックの陸上競技の話題が出た。
100m、200m、400m、800m、1500mと、途中から2の累乗の規則が崩れる。
現行ではこの上は5000mと10000mなので、もはや10進の世界である。
人間はどの段階で2進から10進に切り替わるのか、という問題は相変わらず興味深い。

2016-02-26

うるう

小林賢太郎の「うるう」を観てきた。

久々に笑いで涙が出た。
やはり俺の笑いのツボはこの人によって形成されている面が多い。
千葉滋賀佐賀のフラッシュを見て以来だから、影響を受け始めて
かれこれ10年くらいになるだろうか。
あのフラッシュは弟と大爆笑しながら見た記憶がある。

ポツネンで上演された「うるうびと」のネタがあちこちに出てくるあたりが
長いことファンをやっている身にはとても嬉しい。
次に何を言うのかがわかってもニヤリとしてしまう。

パッヘルベルのカノンと待ちぼうけの組み合わせにはなるほどな、と思った。
あれもこばけんさんが考えたんだろうか。

4年前にも同名の公演があったのだが、このときは観に行けなかった。
このときの内容がわからないから何とも言えないが、
歌舞伎等の伝統芸能のように、同じ内容のものを4年に1回、
少しずつアレンジしながらやっていってもらうのも面白いと思う。
DVD等のメディア展開をしてないのもその辺りが絡んでいるのだろうか。

4年後の2020年、また「うるう」が上演されてチケットが当たったら
今日と同じように、あのうるうびとの絵をアンケートに描こう。
そして、今日と同じように笑い泣きしよう。
今度こそは2/29が当たりますように。

2014-11-18

Idiom ab esse 4

・ヴォジョレーの勘定が合わない
 --
 95年「ここ数年で一番出来が良い」
 96年「10年に1度の逸品」
 97年「1976年以来の品質」
 98年「10年に1度の当たり年」
 99年「品質は昨年より良い」
 00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
 01年「ここ10年で最高」
 02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
 03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
 04年「香りが強く中々の出来栄え」
 05年「ここ数年で最高」
 06年「昨年同様良い出来栄え」
 07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
 08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
 09年 「過去50年でも素晴らしい出来」
 10年 「1950年以降最高の出来といわれた2009年と同等の出来」
 11年「近年の当たり年である2009年に匹敵する出来」
 12年「ヴォジョレー史上最悪の不作」
 13年「小粒だが味の濃いブドウが収穫できた」
 14年「近年の当たり年である2009年と肩を並べるクオリティ」←New
 --
 ヴォジョレーの朝は早い。
 秋も深まった底の深い青空の下、せっせと出荷を進める———
 ———熱心な農家の人々の手によって育まれたヴォジョレーの出来映えは毎年素晴らしい。
 5年もあれば、3回くらいは10年に1度のものに仕上げられて、
 その気になれば50年に1度のレベルのものが3年連続くらい余裕である。
 もはや時の流れを超越した存在。
 ヴォジョレー・ヌヴォー。
 --
 そこから転じて、あまりに大見得を切りすぎると、かえって興ざめしてしまう
 ことを意味するようになった。
 つまり、過ぎたるはなお及ばざるが如し、光陰矢の如し、ということである。
 ※注・この物語はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体、
    特にBeaujolaisとは一切関係ありません。

2014-05-18

Idiom ab esse 3

・五階から目鯨
 五階から目に鯨を入れようとしたら上手く行かずに
 三階のベランダに落ちてしまったために、何故か四階の人が
 怒られて、それ以降マンションのゴミ出しとかが
 えらい厳しくなってしまったという中国の故事から生まれたという説と、
 実は「ゴカイ絡め鯨」のことで、ファッションでゴカイを全身に
 絡めていた鯨が職質を受けてしまうというギリシャ神話が
 基になっているという説がある。

 つまり、誤解から目くじら。

2014-05-13

バニーボーイ

今更だけど、ラーメンズの「バニーボーイ」で
ギリジンが「敷布団on俺on」と言うくだりは
順番が逆である。

2013-07-09

うるうびと

  ルビ疎う、うるうびと

ルビの語源はイギリスで使われていた5.5ポイントの
通称がrubyだったことによるらしいが、もしあと
1ポイント大きかったり小さかったりしたら、
エメとかダイとか呼ばれていたんだろうか。


2013-07-08

Idiom ab esse 2

ない慣用句その2。

・とんびの綱渡り
 とんびといえばタカ目タカ科の先鋒みたいなもので、
 ほとんど羽ばたかずに油揚げをかっさらうなんて
 タッタタラリラピーヒョロロである。
 でもサボりがちな性格に対してのまわりの目は厳しく、
 産むのはいつでもタカなのに、「鳶が鷹を産む」なんていう
 ことわざまではびこる始末。
 そんな状況を打破するために、一念発起、綱渡りでも
 してやろうと意気込むのはいいものの、そこは根っからの
 めんどくさがり屋な性格のせいで、いつまでも実行には
 移さない。
 こんな調子じゃいつまでたってもやりゃしない、という
 まわりの人々の呆れ半分、揶揄半分な気持ちがこのことわざの
 語源となった。
 当人曰く、「てゆうかとべばいいじゃん」。

2013-07-07

P+ k.k.

昨日は小林賢太郎の『P+』を観てきた。

パリ、モナコでも公演されたもののようなので、
セリフはかなり少なめ。

言葉に頼らずに表現することの難しさの中で、
さすが小林賢太郎と言える劇となっていた。

日本の半分は漫画の読者、もう半分は漫画家。
日本の半分は宇宙飛行士で、もう半分は漫画家。
ということは宇宙飛行士は一人残らず漫画の読者
ということですね。
「シーッ」というコントの中で演じていた人は
漫画を読んでいたようだから、きっと宇宙飛行士
なのだろう。

ハナモゲラ語の「祖父です」の下りは説明を聞いた上で
見てもポカーンという感じだった。

昼公演ということもあり、賢太郎さんの挨拶も適度に
気が抜けたものになっており、最後は映画受賞スピーチに
合わせてみんなでスタンディングオベーションになったのが
とても良い終わり方だった。

また観に行きたい。

2012-06-02

Idiom ab esse

(小林賢太郎氏 POTSUNEN 2011『THE SPOT』より)
【ない慣用句】に意味をこじつける

・まばたき八つ(まばたきやっつ)
 まばたきを八回するくらい簡単なこと。
 類義語に「お安い御用」「朝飯前」等がある。
 「朝飯前」と比べてどちらが簡単かは人によりけりで、
 毎日朝ごはんを食べる前にするまばたきの回数が八回以上の人にとっては
 「まばたき八つ」のほうが簡単であることを意味する。


・鬼の朝飯も冷める(おにのあさめしもさめる)
 鬼といえばまわりからも一目置かれる、優秀を絵に描いたような存在で、
 「鬼のように忙しい」毎日の中でも、大抵の雑事は「朝飯前」である。
 彼/彼女は雑事を処理した後の朝ごはんを非常に大切にしていて、
 必ず冷めてしまう前には作業を完了して食卓につくことを旨としている。
 そこから転じて、「これまでからは想像できないほどありえないこと」を
 意味するようになった。
 類義語に「とんびの綱渡り」がある。