2014-12-27

朧月夜

菜の花畠に、入日薄れ、
At field of rapeseed, there comes dusk phase.
見渡す山の端、霞ふかし。
Surrounding mountains blur in a thick haze.
春風そよふく、空を見れば、
On the breezy spring sky, at which I gaze,
夕月かかりて、にほひ淡し
Evening moon hung, subtle scent plays.


水三題

胃にて佇み
立て板に水

夜景に沈み
焼け石に水

鼠に耳
寝耳に水

2014-12-26

駅伝

最近、駅伝をテレビで見られるように
なったように思う。
数年前までは退屈で見続けられなかった。

つまり、そこに重ね合わせるだけの
経験を積んで年をとったということなのだろう。

大掃除に寄せて

掃除とは、つまり、ものの移動である。

2014-12-23

ジグソーパズル

ジグソーパズルとは、ある意味、
雌雄を結する遊戯である。

東京物語

例えば、ジグソーパズルという遊びを知らない人に、
パズルのピースを一枚ずつ取り出しながら
見せていったらどう感じるだろう。
Say, you show pieces of a jigsaw one by one
to those who don't know it,
and then how do they feel?

数センチ角の四角形の薄板の各辺に、
Ωの凹凸がついたもの。
その表面には何らかの着色がされている。
どれも似たり寄ったりで、その一つ一つを
取り上げて見てみたのではなんのことだか
さっぱりわからない。
どれもこれも同じような姿形をしているから、
最初の内は見続けていてもちっとも面白くない。
Plates a few inches square with convexo-concave
on each edge.
Their surfaces are coloured in any way.
Not much different, and not make any sense alone.
Each has similar shape, which makes it bored to see them.

ふと、ある瞬間を境に、表面の模様が意味合いを
帯びてくるようになる。
いつからだろうか、純粋無垢だった青と白は、
時に空と雲へ、時に海と波頭へと、
その役割を演じるようになっていく。
At some instant, patterns get to be tinged with some nuance.
Simple blue and white take roles as sky and clouds at times,
or as sea and crest of waves at other times.

少し前にふと思い立ち、
小津安二郎監督の「東京物語」を見た感想は、
ちょうどそんなようなものであった。

2014-12-11

カル

カルピス+ピストル=カル

反省

反省なんか一人でできるんだから後でしとけ!

2014-12-10

科学・技術・工学

現代日本において、科学技術の恩恵に浴さずに
生活をすることはもはや不可能に近いと言ってよいほど、
科学技術の成果は日常の至る所に刻まれている。

科学とは、つまるところ、経験という唯一神をむかえ、
客観性を第一の宗旨とした、果てしない帰納の宗教である。
技術とは、言うなれば、演繹のスパイラルという、
一種の修行である。

科学は、経験を帰納的に展開するという論理構造ゆえに、
常に誤差をはらむ可能性とともにある。
技術は、科学を前提として演繹を始めた途端、
その愛すべき誤差も背負う運命にある。

そういったエラーを認識した上で、日常生活に技術を落とし込む
ことこそ、工学と呼ばれる学問のなすところである。
この事実を見過ごしたまま、技術不足により発生した事故を
批判することはたやすい。
そもそも不確定要素の多いこの世界にあって、
今送ることができている生活の基礎に、一体どれだけの工学的知見・工学的判断が
積み重ねられているだろうか。

その一つ一つを意識すべきとは言わないが、
せめてその考え方に耳を傾けた上で批判してはくれまいか。
神道を信仰してはいないけれども、年始には初詣に参り、
境内では帽子をとり、賽銭とともに二礼二拍手一礼をするような心持ちで。

2014-12-06

風と桶の短絡

4.
風が吹く

物が飛んでくると危ないな

桶を装備しよう

桶も飛んでいってなくなる

桶屋が儲かる

3.
風が吹く

三十郎現る

「桶二つ、いや三つだな」

桶屋が儲かる

2.
風が吹く

桶でも買うか

桶屋が儲かる

1.
風が吹く

桶屋が儲かる

-1.
風屋が儲かる

風呂屋が儲かる

0.
かがおる!→蚊がおるね。

2014-11-18

Idiom ab esse 4

・ヴォジョレーの勘定が合わない
 --
 95年「ここ数年で一番出来が良い」
 96年「10年に1度の逸品」
 97年「1976年以来の品質」
 98年「10年に1度の当たり年」
 99年「品質は昨年より良い」
 00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
 01年「ここ10年で最高」
 02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
 03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
 04年「香りが強く中々の出来栄え」
 05年「ここ数年で最高」
 06年「昨年同様良い出来栄え」
 07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
 08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
 09年 「過去50年でも素晴らしい出来」
 10年 「1950年以降最高の出来といわれた2009年と同等の出来」
 11年「近年の当たり年である2009年に匹敵する出来」
 12年「ヴォジョレー史上最悪の不作」
 13年「小粒だが味の濃いブドウが収穫できた」
 14年「近年の当たり年である2009年と肩を並べるクオリティ」←New
 --
 ヴォジョレーの朝は早い。
 秋も深まった底の深い青空の下、せっせと出荷を進める———
 ———熱心な農家の人々の手によって育まれたヴォジョレーの出来映えは毎年素晴らしい。
 5年もあれば、3回くらいは10年に1度のものに仕上げられて、
 その気になれば50年に1度のレベルのものが3年連続くらい余裕である。
 もはや時の流れを超越した存在。
 ヴォジョレー・ヌヴォー。
 --
 そこから転じて、あまりに大見得を切りすぎると、かえって興ざめしてしまう
 ことを意味するようになった。
 つまり、過ぎたるはなお及ばざるが如し、光陰矢の如し、ということである。
 ※注・この物語はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体、
    特にBeaujolaisとは一切関係ありません。

2014-11-14

どこでもドアの幻影

2011/12/13以来、再び居場所について。

あれから3年程経ったが、震災の影響で東京への一極集中が和らぐといった傾向はほとんどみられない。

要するに、人と直接会うこと自体の価値に対する信仰はまだまだ隆盛なのである。いや、その信仰自体が薄れることはおそらくないだろう。震災後の騒ぎなど目じゃないほどのエネルギー危機が訪れたときに、止むを得ず諦めるというかたちで人と会う機会は失われていくのかもしれない。

Skypeのような映像付き会話システムとは比にならないくらい、直接会っているのに近いコミュニケーション技術の開発が、今以上に求められ、活発化するのだと思う。例えば、一枚の紙面を共有して、その上にお互いが描いたスケッチがリアルタイムに共有されるシステムは、ある業種の打合せにとっては相手の顔が見えている以上に意味のあることだったりする(既にそういうものはあるだろうが)。

より速く、より細かいネットワークが構築されるほど、人は分散できるはずなのに、未だに東京に集中している。2020年のオリンピックに向けて一段とその流れは進むだろう。

リニアモーターカーの開発が2027年開業を目標に進んでいるが、移動の高速化を追求する技術は結局のところ人同士が直接会う必要性を前提としており、東京への一極集中と発想の本質は同じである。

地方への移動がなかなか進まないのは、結局これが後だしじゃんけんだからなのではないだろうか。もはや直接会わなくてもたいていの仕事は成り立ち、徒歩あるいは自転車で移動できる圏内で生活が完結できるという実感を、ある程度の大多数が共有した状態でないと、先に分散した人間がわりを食う格好になってしまう。(食っているわりも、後から振り返るとおそらく大したものではないのだが、それを大したものだと錯覚させるほど、信仰は強い)

一極集中が過度に進行し、エネルギー的な限界を迎えたとき、超新星爆発のように東京への一極集中は解消されるのかもしれない。その先には、日本各地の人口密度が概ね一様になり、各々がその土地で完結した生活を営みながら、今とは少し違ったかたちで今以上に身近なコミュニケーションがとれる、不気味に穏やかな世界が待っているのだろう。

どこでもドアは、物理的にではなく、精神的に実装される。


今日、柏の葉キャンパス駅に5年ぶりくらいに降り立ち、
そんな思いを抱いた。

2014-11-01

11/01

Googleトップのラジオ体操がシュールで気に入った。

保存したいけど、仕方がわからない。

2014-10-21

男女

そして男は女に対する絶対的な勝利宣言に至った。

———
長い歴史の中のあらゆる制度において、
男は常に女に先行しようと努めてきた。
過去に女が排斥された仕組みを挙げれば
枚挙にいとまがないだろう。
社会という制度、国家という制度…。
何を苦心して男は自らの立場を死守しようとしてきたのだろうか。


性的共食いにおいて、捕食される側は常に雄である。
遺伝子を残すという生物の至上命題において、
雌の絶対的優位は約束されているようなものだ。
生まれながらに、いや、生まれる前から背負っていた
その絶対的な劣等感を払拭するために、雄は自らの優位性を
作り上げようとして様々な仕組みを作ってきたのでは
ないだろうか。


時は資本主義経済のゆきづまった21世紀初頭。
この時代のわかりやすいステータスの一つが仕事である。
旧き昭和の「男尊女卑」を脱出し、女性にも社会進出を、という
セリフが声高に叫ばれる中、ゾッとするようなニュースが二つ
飛び込んでくる。
一つは女性登用の数値化目標の義務化
もう一つは企業による卵子凍結の保険適用だ。


圧倒的不利な状況を何とかごまかすために
雄は苦心して砂上の楼閣とも言える数々のシステムを築き上げる。
その中に後から雌を取り込むことで、あたかも
雄の優位性が存在するかのような錯覚を作り出す。
最終段階として、そのシステムの中での繁栄の対価として、
本来雄が勝ち得なかったもの、雌の絶対的優位性を担保するものであるところの
生殖機能を奪い取る。
これが暗黙のうちに完遂されたとき、
男は女に対する絶対的な勝利宣言に至るだろう。
———

そんなSF小説があってもよい。

2014-10-04

save the nine

ころばぬさきのつえ
A stitch in time may save nine.
ぬえばさつきのころ
縫えば皐月の頃
Stitch in May

2014-09-22

albus

アルバニアを調べていたら
ラテン語のalbusを語源とする語の中にalbumがあるのを知った。

white albumってそういうことなのか。

2014-09-17

-otion

Motion, rather than notion.
習うより慣れろ

2014-09-03

いつの間に

いつの間に もう秋! 昨日は夏だった・・・
It's autumn already without realising! Yesterday was summer.

今年の夏は終わるのが早かった。
夏は去ぬ。

2014-09-01

shed

ALCでshedを調べていて、
「shed tears 君からもらい泣き」
という歌詞を思いついた。
以上です。

2014-08-13

golangでwindows gui

golangで書き直したstはpython版と違ってGUIがついている。
golangのGUIライブラリはこれだというものがまだ見つかっていないが、
andlabs/uiには陰ながらかなり期待を寄せている。
取り急ぎ今はvisualfc/go-iupに自前のcd.goを足したものを使っている。

GUI関係のメモ
・コンソールを出さない(LDFLAGS=--subsystem,windows)
 go build -ldflags="-H windowsgui" main.go
・アイコンを埋め込む
 windres --output-format=coff -o test.syso test.rc
 で出力したtest.sysoファイルを同じフォルダに入れてgo build

logo

stのlogo完成。

そもそもプログラム名をstにしたのは、
 1. 左手だけでコマンドが打てる
 2. よく使われる既存のコマンドと被っていない
 3. 2文字
という条件で絞った中から、関係ありそうに
見えるものという理由だった。

stの後付けの理由の中に、stress、sigma/tauというものがある。
応力を表す変数によく使われる記号がσとτなのだ。
そこで、ミーゼス応力のイメージから斜め45°の楕円と座標軸
という絵面を採用し、楕円がσ、X軸とY軸の半分がτという
ことでこの図案に落ち着いた。
(本当はτの線幅はもっと細い方が良いのだが、
小さいアイコンでも潰れないように太めにしている。)


2014-08-06

山号寺号

ごちそうさん 爪楊枝
房がたくさん ブナシメジ
桃太郎さん 鬼退治
お疲れさん マッサージ

2014-07-24

然れ

良かれ悪しかれ 尻敷かれ
御髪枯れたる 高利貸し

2014-06-20

「社会を明るくする運動」と書かれた横断幕が、
今日も社会に影を落としている。

物理的にも、心理的にも。

2014-06-16

平泉

■五月雨の降り残してや光堂

うれしさや このひだりての ふかみどり
(嬉しさや この左手の 深緑)

こひされり だてのかりやの しみどうふ
(恋去れり 伊達の仮屋の 凍み豆腐)
しみどうふ だされてひやり のこりのか
(凍み豆腐 出されて冷やり 残りの香)

ふみだして どこかされりや りのうのひ
(踏み出して/文出して どこか去れりや 離農の日)

ふりみだし されどこのひの てかりやう
(降り乱し されどこの碑の テカリ様)


■夏草や兵どもが夢の跡

さもわがや とどくなつもの つゆのあめ
(さも我が家 届く夏物 梅雨の雨)

2014-06-12

理系文系

日本には理系と文系という世にも珍しいくくりが
全国的にまかり通っている。

理系と文系の違いなど本来はほとんどないが、
強いて挙げるとすれば、「不確定要素の排除」に
集約されると思う。

理系は可能な限り不確定要素を排除し、あらゆる事象を
単純化して把握しようとする姿勢をもつことが多く、
文系は不確定要素を不確定要素のまま取り込んでおき、
複雑なままで把握できる限りのことを把握するという姿勢を
もつことが多いと思う。

そのため、理系にとっては「新しいものほど良いものだ」という
観念が、比較的多くの場合成立する。
不確定要素を排除したモデルでは、時間とともにその精度を
単調に増加させることが可能なので、数学、物理学等の各分野で
新しい理論が過去の理論を包括しつつ更新するということがままある。

それに対し文系は、より歴史を重視する傾向にある。
法学、文学等、時系列における前後関係によって優劣が
つけられないものを扱うことが多いと思う。
最大の不確定要素である「人間」が関係する領域が広く、
時代に応じて判断基準が変化することによるものだと
考えられる。


まあ結局、違いなんてどうでも良いのだけど。

2014-06-01

study07

【毎食あの梅】
悪魔の証明
【心霊の上層】
【嬉しそうのジョイン】
深窓の令嬢

2014-05-28

GoldBlend

違いの分かる男

地下街の終わるとこ

おあとがよろしいようで

よし、泳いで上がろうと


ラーメンズの新噺が秀逸。

study06

【餅の賭博】
竹馬の友
【杖で田をいびる】
【ビルを得たついで】
【ついビデを耐える】
【ルビで杖を板】:振り間違えですかねぇ
海老で鯛を釣る
【衣装どうだい】:辛辣なコメント
大同小異
【カビと来店】
回転扉
【国盗りより籠もろ】:これだからゆとりは…
ところによりくもり
【月光婦人】:奥様でしょうか
不言実行

2014-05-27

風前の灯

ふうぜんのともしび

とうふもしぜんのび

豆腐も自然の美

2014-05-25

5月

目に青葉 山ホトトギス 初鰹


初鰹は一昨日食べた。
ホトトギスは未だ聞いていない。


めにあおば やまほととぎす はつがつお
 はや二月 バス待つ乙女 仰ぎ徒歩
 乙女待つ あ奴が歩幅 遠に過ぎ
 乙女待つ あ奴がおはぎ 徒歩にバス
 妻が徒歩 おやつにおはぎ 雨とバス

2014-05-18

Idiom ab esse 3

・五階から目鯨
 五階から目に鯨を入れようとしたら上手く行かずに
 三階のベランダに落ちてしまったために、何故か四階の人が
 怒られて、それ以降マンションのゴミ出しとかが
 えらい厳しくなってしまったという中国の故事から生まれたという説と、
 実は「ゴカイ絡め鯨」のことで、ファッションでゴカイを全身に
 絡めていた鯨が職質を受けてしまうというギリシャ神話が
 基になっているという説がある。

 つまり、誤解から目くじら。

あいおしとなのはばふり2

あの場は大人しいフリ
稲葉の足音はフリ
お尻の穴場は太い
不意の網走は大人
大人の足場はふりい(古い)
大人のフリは芝居、あ
大人は不死のアリバイ
阿波のなりは太い塩
ふと降りしはナの場合
オフは鳥の場合なし
オフの場合はとりなし
オフのバイトはありなし
バイトありのオフはなし
オバアは名乗り歳いふ
阿夫利のバイトはおしな
愛しの名は叔母フリア
糸の織りはバリアなし
大人は負の縛り合い
阿波のふりは音しない
音のない網走は負
あの音は降りし稲葉
遠いあの日は降りしな
降りしあの日は遠いな
落とし穴は負の威張り

2014-05-15

Park for All

釜石のみんなのひろばがそろそろ竣工するようだ。
http://architectureforhumanity.org/node/4892


すっとした出で立ちにできたと思うので結構好きだ。
一見何でもない鉄骨ラーメンの建物でも、
部材のプロポーションに気を払って設計をまとめられると
とてもきれいにできるものだ。
そういう建物の方が個人的には好きである。

architecture for humanityのサイトに掲載されている、
釜石東中学校野球部が建物の前に整列した写真が
とても気に入った。
この子らとキャッチボールしたいな。
県大会頑張れ!


(写真はarchitectureforhumanity.orgより)

2014-05-13

バニーボーイ

今更だけど、ラーメンズの「バニーボーイ」で
ギリジンが「敷布団on俺on」と言うくだりは
順番が逆である。

そして父になる

時期尚早な梅雨空の朝は、一筋の涙とともに始まる。



土日に寝過ぎたためか、朝5時に目が覚める。
二度寝するのももったいない気分だったので、
久々に自宅で朝ご飯を食べるために
近所のスーパーまで朝の散歩に出かける。
出がけには台所の上に溜まっていたペットボトルを
ゴミに出す。

お湯を沸かしながら食パンを2枚トースターへ。
片面4分片面1分でじっくり焼いたのが好きだ。
1枚目には少し前におみやげで貰ったいちごジャム、
2枚目にはいつもどおりの納豆である。

部屋の明かりを消して、日曜日に買いだめたDVDから
「そして父になる」を選ぶ。
まだ6時前なので8時頃には見終わるだろう。
コーヒーやパンを取りに行く度に始めのセリフを聞き逃しては
最初から再生を繰り返すこと2回。
やっと落ち着いてトーストをかじりながら鑑賞を始める。


個人的に最も好きだったのは是枝監督の絵の残し方だった。
面接後の階段が一番印象的だったが、目を残したまま
思考だけ先に進めるというのが「思いを馳せる」という
行為にとても効果的だったように思う。

シーンとしてはやはりクライマックスが圧倒的に心に響くものがあっただろう。
琉晴が野々宮家に溶け込んでごっこ遊びに付き合ったり、
その中でお父さんと呼んでいたり、家の中でキャンプをしたり。
夜には尾野真千子がベランダで泣き、朝には福山雅治がリビングでむせぶ。
カメラはいらないと言った慶多の思いを知った父親とともに、
思いがけず涙を流す。映画でこんな泣き方をしたのはいつぶりだろう。


息子を取り違えられた二組の親子の育ての親と息子、
再婚した二組の親子の義理の母と息子。
看護師の息子の肩を叩いた瞬間から、取り残されていた良多が
取り戻していくもの。
父になるための必要十分条件は父であること。
To be a father means to be a father.

英語の題はLike father, Like Son (この父にしてこの子あり)のようだが、
福山さん演じる良多とリリーさん演じる雄大が、慶多と琉晴に対してそれぞれ
父であるために6年間してきたこと、これから父になるためにすること、
そして父であるとはどういうことなのかという思いを込めて、
To be A Father を推したい。

2014-05-04

勝沼

外は早も夏日だというのに、
大日影トンネルの中は肌寒い。
全長1.4kmのトンネルの中程は
蛍光灯のあかりのみに照らされ、
気温は10℃あまりしかない。

前日の晩に思い立ってから約12時間。
新宿から電車で2時間あまり、1500円くらいの位置にある
勝沼ぶどう郷駅に来ていた。

ゴールデンウィーク後半の初日だったが
それほど人混みに溢れかえっている様子はなく、
同じ電車で降り立ったのは数人程。

家を出る時間が少し遅くなったこともあり、既に日は高い。
やはり帽子を被ってくるべきだったかと後悔するが、
むしろ予定の場所を回りきれるかが心配だ。

線路沿いに東へ進むと程なく大日影トンネルの入り口が現れる。
入り口の手前から空気は冷たさを増していき、
100mも入ると別世界である。
線路やPC製の枕木の雰囲気がまだ新しさを残している中で、
レンガ積みのトンネルだけは近代遺産の風格を帯びていた。
出口に近づくに連れて外気が暖かさを取り戻すのが、
そこはかとない幸せを覚えさせてくれた。

トンネルを抜けたところにある、トンネルを利用したワインカーヴを
少し覗かせてもらい、甲州街道を下る。
ヨーロッパ式の栽培方法だとぶどう「畑」という感じがするが、
日本式の栽培方法の場合はぶどう棚という言葉が似合うなと思う。

勝沼堰堤は意外なほどに迫力があって、立ち寄ったかいがあった。
これほどの規模の土木工事を成し遂げたことに感心する。
このあたりでなぜか「夏は来ぬ」が口をついて出てきたのだが、
それほど暑かったのだろう。

それから大善寺、ワイン博物館、宮光園と次々と回る。
大善寺だけかと思いきや、街中でも本当によく藤が下がっているのを見かける。
勝沼の住宅の3割くらいは庭に藤棚があるんじゃなかろうか。
ワイン博物館の館長さんに色々と話を伺い、蒼龍、大泉、原茂あたりの
ワイナリーに寄ることに決めた。

宮光園の向かいがメルシャンだったので一応メルシャンにも立ち寄る。
庭がきれいで、遠景に青空と山々を控えた芝生の感じは大変絵になっていた。
メルシャンのワインは去年のマリコヴィンヤードのときに色々飲んだので、
また今度ということで。

そこからワイナリーを2件はしごして計3本のワイン4kgを抱えながら
いざぶどうの丘へ。(結局大泉は立ち寄らず)
既に17時を回っているので腹ごしらえをするためにまずはほうとう料理屋へ直行する。
鍋一つは結構な量だったが、野菜たっぷりでとても美味しかった。
そして天空の湯に浸かりながら日が暮れるのを眺め、
ワインをもう1本買い足して勝沼に別れを告げる。

前日に思い立ったわりには色々と見て回れたし、美味しいものも食べられ
温泉にも浸かれたので大変充実した一日になった。



2014-05-02

g

隣の芝生は青い、
此方のガラスはきれい。
The grass is greener on the other side,
but the glass is cleaner on this side.

2014-04-27

2014-03-30

読書録2

最近は内田樹の本を始めとして、いわゆる文系っぽい
本を読むことが多かった。

内田樹
 レヴィナスと愛の現象学
 他者と死者(他社と支社と変換された)
 寝ながら学べる構造主義
 こんな日本でよかったね
 ためらいの倫理学
 街場の現代思想
 街場の文体論
遠藤周作
 沈黙(長崎旅行に先立って)
筒井康隆
 文学部唯野教授(街場の文体論で紹介されていて)
カミュ
 異邦人
佐々木俊尚
 レイヤー化する世界


思考、言語、主体、自我、他者などなど。
何がどの順番で立ち上がってくるのかがまだ腑に落ちない。

感覚器官としての物理的な人体が環境から刺激を受けたときに、
言語を介さずに反応を生じる場合、そこには自我はいないと
考えて良いか。
例えば熱いものに触れたときに、皮膚から熱さを感じ取って
手を引っ込めるとき、「熱い」と考える主体は認識されない。
あるいは手を引っ込めた後に「今のは熱かった」という
言葉を思い浮かべる主体なら認識されるかもしれない。
何かの感覚を受け取った際に、それを言語化しないままに
享受する自我を認識することはできるだろうか。
(ボキャブラリー不足のために「なんかモワモワする」のようにしか
表現できないにしてもそれは既に言語化されている)

まず言語があり、しかるのちに自我が認識されるとなるとすると、
そもそもなぜ言語という概念が生まれたのか。

自意識を獲得してしまった現時点から見返すと、
まず自我、自意識、自分のようなものがあった上で、
それを自分以外のものにも敷衍して、他我、他なるものを
想定したときに、その間のコミュニケーションのために
言語が発達したと考えたくなる。

しかし、まず他者の認識がある。
内田樹の本を読んで理解した限りでは、
レヴィナスによれば他我と他者ははっきりと異なり、
他者との間には共通の度量衡が存在せず、「相手の身になる」
ということが原理的に不可能なもののことである。
人間が他の類人猿から離れた最初のきっかけが
葬礼の開始によるとして、そのときまず想定された最初の他者が
死者だったとすると、言語に先立って葬礼の儀式の行いが
あったはずである。

その行いの中から言語にあたるものが生じてきて、
いわゆる他人とのコミュニケーションにも使用されるように
なってきた後で、その言語を操る何かとして、当然そこにいるものとして
想定されたのが意識である、という順序なのかもしれない。
(葬礼の中から言語が生じるという考え方は、白川静の字学にも
通じるところがあるようで、字統字訓字通を買ってみた。)

以上が内田樹の本を読んでぼんやりと了解したことである。

伊藤計劃のハーモニーで出てきた、
「自意識を実装するのがある環境では必要だった」という概念。
「かつて人類には、わたしがわたしであるという思い込みが必要だった。」
という文章。
未だに好きである。

世界フィギュア

金曜土曜と二日連続で世界フィギュア@さいたまスーパーアリーナ。
男子フリーと女子フリーを見る。

今年は五輪シーズンだったこともあり、
引退宣言をしている選手が多く、この大会が見納めと
なる可能性が高い人がちらほら。

男子は引退予定の高橋がけがのため出場しなかったため、
日本人は羽生、町田、小塚の3人。
高橋が有終の美を飾る瞬間に立ち会えなかったのが心残りではあるが、
町田の予想を上回る大躍進と羽生の王者としての意地には
心を打つものがあった。
あと、ジェレミー・アボットの演技は集大成的な感じがあって
少しジンときた。

女子は浅田、鈴木の両選手が引退予定ということもあり、
このトップ2の演技がもう見られないと思うと
筆舌に尽くしがたい感情がこみ上げる。
ステップシークエンスで鼓動が早まるのを実感したのは
この二人とカロリーナ・コストナーだった。


思うに、スタンディング・オベーションとは感情の発露である。

演技が終わってよっこらせと立ち上がって拍手喝采というのは順序が逆で、
立ち上がらなければという使命感で立ち上がるのではない。

それこそステップシークエンスを踏んでいる最中にこみ上げてきた
衝動にかられるがままに立ち上がりたいところを、
礼儀をわきまえて演技の終了までは待った上で、
思わず立ち上がった後になって、この演技には立ち上がって敬意を
表すべきだったんだと自覚する行為、
それがスタンディング・オベーションである。

今大会、唯一スタンディング・オベーションを送ったのが浅田真央選手だった。
数々のジャンプを成功させたのはさすがだけど、
何より最高のステップシークエンスでした。
ありがとう。

2014-02-23

ソチ

ソチ五輪フィギュア女子フリーで浅田真央のみせた演技は圧巻だった。
滑りきった後、天を仰いでむせび泣いた様は、メダルをとる以上に
人々の思い出に残っただろう。
実況解説もだまったあの十秒あまりの時間に、浅田真央の集大成が
つまっているなと感じた。

長崎旅行2014③

2014/2/14〜2014/2/16 長崎

【2/16(日)】
最終日、7時過ぎに目を覚ます。
脚は痛いが思ったほどではない。

朝食を済ませ、9時頃にチェックアウト。
実はまだ今日のルートが決まっていない。
軍艦島に行くか行かないか。それが焦眉の問題だ。

大きな荷物をホテルに預け、取り敢えずオランダ坂の方へ歩き始める。
途中、インターメディアの設計したガソリンスタンドを覗いた。

東山手一体の洋館を見つつ、十人町の方へ抜ける。
十人町では迷路の様に家の間を坂が駆け巡っていて、
坂の中に家が立っているような場所だ。実に面白い。

海星高校のあたりや6軒の東山手の洋館を抜けて
石橋の電停あたりまでおりる。
グラバースカイロードという斜行エレベータに乗り、南山手に突入。
南山手には猫が多い。
グラバー園に第2ゲートから入ろうかとも思ったが、
祈念坂を抜けて大浦天主堂の方へ回る。
大浦天主堂の入り口にて偉大な背中その3。
旧羅典神学校を抜けてグラバー園へ。
グラバー園へ至るルートとしてはこれが良いんじゃないかと思う。

グラバー園を一通り見て回りながら、世界遺産登録を目指すパネル展示で
小菅修船場跡を知る。歩けそうなので次はここに行こうと決める。
日向ではまた猫が寝ている。

グラバー園を出てグラバー通りを南へ。
ロシアコンスイ坂をのぼり、ドンドン坂からおりる。
途中にロシア領を発見。

大通りまでおりて、道沿いに10分くらい歩くと
小菅修船場跡が見えてくる。
特に観光地っぽくはなっていないが、かつて船を曳き出すのに
使われていたレールの質感が、海に向けて変化して行く様子がまことに良い。

バスで市民病院前まで戻り、中華街へ。
江山楼本店でお昼を食べようとするが、混んでて待ちそうだったので
先に出島を見ることにする。このとき多分13時半頃。
前回来たときは出島は跡地の説明板だけだった気がするので、
だいぶ様変わりした感じだったが、あまりのテーマパーク感と空腹感のため
あまり覚えていない。

江山楼本店に戻り、長崎ちゃんぽんの特上を食べる。うまい。
既に15時くらいなので、夕陽をどこで見るかを軸にルートを
フィックスしなければ。
元々今回は行けないかと考えていた浦上のあたりにも行くことにして、
平和祈念像→浦上天主堂→爆心地→戻ってきてお土産購入→松が枝ターミナル
の順に回ることに決めた。
そして江山楼に地図を忘れた。

出島の電停から松山町まで市電に乗車。
平和公園までのぼり、平和祈念像と対面。偉大な背中その4。
浦上天主堂、原爆公園を見て回る。
再び出島まで市電で戻り、グラバー園の坂の下のお土産屋さんの並びへ。
既に17時を回っているのでグラバー園は閉園しており、
お土産屋さんもそれほど人は多くない。
福砂屋と岩崎本舗でカステラと角煮まんじゅうを購入。
大トロ角煮まんじゅううますぎ。

松が枝国際ターミナルに行くと、今日は夜にコンサートがあるようで
ミュージシャンたちがリハーサルをやっている。
中を一通り見て回り、外では夕陽を写真におさめる。
なかなか心地の良い場所だなと思った。

ホテルのあたりまで歩いて戻り、白井晟一の設計した親和銀行大波止支店を
見に行く。小振りだが端正な建物だ。
その後ホテルで荷物を引き取り、18:13大波止バス停発の空港行きの
バスに飛び乗り、一時間で空港へ。

空港に着くと案の定大雪の影響で発着が遅れている。
レストランで念願のトルコライスにありつき、長崎に別れを告げる。

2泊3日で25kmくらい歩いたので、ずっと歩きっぱなしの旅だったが、
久々の個人旅行は非常に楽しめた。
誕生日に買った単焦点レンズを使うのが主目的だったが、
存分に力を発揮してくれたと思う。

2014-02-20

長崎旅行2014②

2014/2/14〜2014/2/16 長崎

【2/15(土)】
ソチ五輪フィギュア男子フリーを寝ぶっちした翌朝、
目覚めると7時半過ぎ。
意外と早く起きられたと思いながらシャワーを浴びて
朝食バイキングへ行くと、思いの外混んでいて
少しロビーで待たされることに。

ちょうどロビーには今日行く予定にしていた
出津教会などを含む長崎県の教会の写真集が
置いてあったので手にとってみる。
昨日の夜にランタンに溢れる街を散策しながら
入った書店でも長崎の教会をまとめた本を
見てみたが、出津のあたりには他にも大野教会堂と
黒崎教会がありそうだ。

朝食を食べ終え、9時6分長崎駅前発のバスで一路外海へ。
(後でわかったが、ホテルの目の前のバス停からも
同じバスに乗れたっぽい。)
天気は上々、バスの乗客は少ない。

●大野
バスに揺られること小一時間、大野のバス停に到着。
朝食後、歯を磨きながら読んでいたウェブサイトを信用して
ロクに場所を調べずに来てしまったが、
取り敢えず看板の指す方に歩き出す。
ここで今回の長崎旅行で唯一の雨に降られる。

5分くらいで大野教会堂に到着。当然観光客など一人もいない。
ド・ロ様壁で建てられた小さな住宅のようだ。

ここで写真を撮りながら思ったが、撮りたいと思う絵に
幾つか傾向がある。

角から回折した光が漏れている様子、太陽の半逆光による照り、
逆光で黒く潰れた被写体、、、
今回の旅行は偉大な背中を撮ろうと決めた。

大野教会堂の近くには案内板が出ているのでなるほど道には迷わないが、
大平作業所跡まで1km半、バスチャン屋敷跡まで3km弱。
歩くしかない。

雨で濡れたアスファルトが朝の半逆光に照らされる道をひた歩く。
土曜の朝だからか人も車も全く通らない。
遠くでとんびがピーヒョロロと啼く以外に生きていることを感じさせる
ものは一切存在しない。
いつの間にか伊藤計劃のハーモニーに出てきたスイッチが押されたのかもな
と思えるような、のどかさとも孤独感ともつかない感じにつつまれる。

大平作業所跡は予想通りの廃墟感を帯びていた。
ここに至る小道に唐突に現れたみかんの木が良い雰囲気をつくるのに
一役買っていると思う。
既に屋根は崩れ落ちているため、壁の上が歩ける。
壁の上に立ち、ここから落ちて打ちどころが悪くて死んだら誰にも
気づかれないだろうなという想像が頭をよぎり、大人しく下りることにした。
夕陽の時間帯に来たいなと思える場所だった。

そこからさらに1km半歩く。さっきよりもさらに田舎感が増してきて、
大野のバス停まで戻るのが面倒なのでこのまま出津まで歩きたくなってきた頃。

バスチャン屋敷跡は10m2にも満たないくらいの小屋だった。
旅行前に読んだ遠藤周作の沈黙でロドリゴたちが潜んだ小屋を想起させる。
小屋の中は本当に真っ暗で、入り口の扉を開けていないと空恐ろしさを覚えるくらいだ。
せっかくなのでオラショを覚えてる限り独唱してみた。
――パライゾの寺にぞ参ろやな
モキチが十字架の上で叫んだ節を歌うと涙が出る。

屋敷跡に続く道を戻り、舗装路に出たときに目にした明るい景色。
それすらも望めず、鬱蒼としげる木々の間にひっそりと沈んでいた
キリシタンを思うと、この暖かい土曜の昼の日差しが何とも言えず
贅沢なもののように感じられた。

案内板によると出津まで3.5kmくらいだったので、大野に戻る必要もなく、
そのまま出津まで歩く。
途中、牧野公民館のあたりでおばあさんたちに声を掛けてもらった。
ゲートボールに誘われたが丁重にお断りして、出津はこっちであってますかと
確認したり、埼玉から来ましたと言ったり。
こういう地元の人との何でもない話ができると、この旅をして本当に良かったなと思える。
おまけに最後には甘古呂餅まで頂いてしまった。
この後結局15時頃まで何も食べずに歩き続けることになったので本当に助かりました。
とってもおいしい甘古呂餅でした。

●出津
しばらく道なりに行くとド・ロ神父のお墓が見えてくる。
偉大な背中その2を写真に納める。
そこから割とすぐに出津教会に到着。
大野教会堂でも思ったが、入り口前の白い壁で囲まれた空間への
光の差し込み方がすごく好きだ。

ド・ロ神父記念館と出津救助院が近場にあり、当時の資料の展示などが
されている。記念館で一番目を引いたのはなぜかタップだった。

救助院ではスタッフのおじさんにひとしきり案内をして頂いた。
鉄骨の耐震補強がされていたが、補強前の納まりが恐ろしく簡素で、
地震国でよくこんな納まりにしたなという感じだった。

救助院を出たところで観光客の一団とすれ違う。
そういえばガイドブックに土曜日はツアーがあるようなことが
書かれていた気がした。

歴史民俗資料館には寄らず、近くにある沈黙の碑に立ち寄る。
碑に刻まれた言葉には、ぞっとする迫力を感じる。
どうやったらこんな言葉が紡げるのだろう。
「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」

●黒崎
記念館でもらった地図を見ると、道の駅を経由して黒崎教会まで歩けそうだったので
引き続き歩く。
途中遠藤周作文学館に立ち寄り、展示を観賞。
併設されたカフェで遅い昼食にド・ロ様パスタを食す。
道の駅は素通りし、黒崎教会まで突き進む。
途中に伊藤一長元長崎市長の墓があったのでお参りした。

黒崎教会は今日訪れた教会の中では一番教会然としていた。
ステンドグラスも嵌められていて、夕陽の間接光がステンドグラスを
通して入ってくる様子が何とも神聖な雰囲気をつくりだしていた。

道の駅まで戻って夕陽が沈むのを眺める。
このとき17時を回ったところなので、1時間くらい眺めていたことになる。

生憎西の空は快晴ではなかったが、雲間から漏れる、いわゆる
エンジェルラダーという現象に立ち会えた。
今日一日歩きまわったキリスト教世界を思うと、かえって快晴であるよりも
合っていたかもしれない。
18時6分日没。

18時32分のバスまで少し時間があったので休憩所に立ち寄る。
天井が高く、意外と響きが良かったのでまたオラショを歌う。
相変わらず人はいない。

●稲佐山
夕陽をとっている最中にカメラの電池がなくなってきており、
昨晩充電しなかったことを激しく後悔する。
このまま夜景を見に行こうか一旦充電しに戻ろうか悩んだ挙句、
直接見に行くことにした。
宝町でバスを降り、淵神社まで10分ほど歩いてからロープウェイで山頂へ。

ちょうど満月の夜で、夜20時前の東の空に昇り始めている。
新世界三大夜景の一翼を担う街と同じ方角なのでフレームへの納まりが良い。

●晩御飯
トルコライスを食べたいと思ってホテル裏の洋食屋に行ってみたが
やっていない。ウェブサイトだと23時までやってるはずなのに。

仕方なく浜町の方まで足をのばすと、アーケードでは昨日まで飾られていた
ランタンを撤収している。
トルコライスを探して浜町を2周したが見つからない。
結局福山雅治氏行きつけの思案橋ラーメンでバクダンチャンポンを頂いて
満腹になってホテルへ帰る。

明日は市内をひたすら歩く予定なので、今日の疲労が残らないかを心配しながら就寝。

2014-02-16

長崎旅行2014①

2014/2/14〜2014/2/16 長崎

【2/14(金)】
20時前、長崎のホテルに到着、荷物を置いた後
長崎ランタンフェスティバル最終日に出かける。
県庁前通りを抜けて浜町から新地中華街に入り、
中華街を3往復くらい。
2往復目に角煮まんじゅうを買って食べ歩き。
これがまた角煮がやわらかくうまい。

街中にランタンが釣られていて、ところどころに
大きな人形や動物の形をしたものも置いてある。
湊公園では踊りも催されていたが、そこに飾られた
祭壇はかなりショッキングである。
ロウソクとランタンに囲まれた中に子豚一頭と
数多くの豚の頭部が祭られている。全部本物らしい。

浜町アーケードを抜けて眼鏡橋のあたりへ足をのばすと、
川辺には干支のランタン、水面には鶴や鯉のランタンが
飾られている。

公会堂前から桜町を通り、晩ご飯を食べる店を探しながら
駅前を超えてホテル方面へ。
ホテルの裏の洋食居酒屋でトルコライスを食べようと
思ったが、丁度閉店するタイミングだったようで。
仕方なくホテル横のラーメン屋でチャーシュー麺を食べて
ホテルに帰る。

ソチ五輪フィギュアスケート男子フリーを見ながら寝落ち。
翌朝目覚めると羽生くんが金メダルをとっていた。
おめでとう。

2014-01-15

Hatching

stにハッチング機能を実装した。
面材の作成が恐ろしく速くなった。

2014-01-13

Glosbe

Glosbeが言語の学習に理想的。

基本は辞書なんだけど、例文も併せて表示される。
(この例文の多く提供しているのが「タトエバ」というサイトで、
これもまた良いサービスだと思う。)

例文の日本語訳も割と自然な感じで使いやすい言い回しの
ものも多いので、とても参考になりそう。

また、検索した単語の前後の見出し語も表示されるので、
本来の検索ワード以外にも気になった単語に立ち寄れる
という本屋的効果がすばらしい。

Androidアプリもダウンロードしてみたが、
例文と前後の見出し語が表示されないのが
かなり残念。

2014-01-11

NZ

Winery 「MATUA」

America's Cup Japan Challenge 「韋駄天」

南十字星


ワインと太陽と星を浴びてきた。