2019-06-26

フラジャイル

松岡正剛「フラジャイル」を読んだ。

ある特定の秩序を維持しようとする力が「強さ」だとすれば、「弱さ」とは何だろうか。その「強さ」の判断基準によって、良し悪しの悪しの方に選別されたものとする、「強さ」の補集合としての「弱さ」というのは、あまりに消極的であり、それは結局のところ、「強さ」への着目でしかない。あるいは、その「強さ」のつくる秩序を変えようとする、「強さ」からの逸脱としての「弱さ」は、それが行き過ぎれば、また別の「強さ」になってしまう気がする。

「弱さ」はむしろ、ある秩序が移り変わるか否かの瀬戸際、ホメオスタシスとトランジスタシスの「強さ」と「強さ」の葛藤の場である境目、二つの光がまじりあうtwi-light、「同」に収束しない「類」という近傍、生命のように刹那的なEdge of Chaosのことを言うのだろう。

「強さ」への憧れは、秩序が固定化する傾向、すなわち善性の発露である。ひたすらに固定化して壊死してしまいかねない善の光に照らされてできる影としての「弱さ」ではなく、葛藤の中で善という光になりそこねたラディカル・ウィルとしての「弱さ」。その「弱さ」があってこそ、「生きる」という秩序更新プロセスは継続するのである。

完結しておらず、完全でもなく、全体でもなく、何らかの「弱さ」をもちつづけることで、秩序の変化幅をなるべく減らさないでいる、感じやすいままでいるというのが、弱体化やネオテニーという人間なりの戦略だろうか。

2019-06-22

それでもデミアンは一人なのか?

森博嗣「それでもデミアンは一人なのか?」を読んだ。

エラーを導入することで局所的にエントロピィ増大に逆らっている状態のことを「生きている」と形容すれば、有性生殖sexual reproductionによるハードウェアレベルでのエラー導入が無限に遅延された世界では、生命が生きていく上で、ソフトウェアレベルでのエラー導入への依存度が高くなる。intellectual reproductionとでも呼ぶべきソフトなエラー導入は、現代でも既に言語や身振りなどの広い意味での記号を介したコミュニケーションによって行われているが、人間の頭脳以外の処理装置の特性も考慮した上で、それをより高速かつ高効率なものに、つまりよりハードなものに近づけようとする試みが、トランスファをベースにした共通思考なのだろう。デボラもグアトも、トラスファは皆、突然変異を引き起こすトリックスターであり、その突然変異が遺伝的浮動によって広がることで共通思考は変化し、熱的死を免れる。

複数の処理装置をもったロイディやデミアンは、あるいは数多の処理装置がつながった共通思考は、一人なのか?
それは、何を一つとみなすかという同一性の判断基準、つまりは内と外の隔て方の問題に帰着する。多細胞生物における個々の細胞がもはや一つの生命体とはみなされないのと同じように、Reproductionの在り方が変化した世界においては、一つのBrainという単位もまた、現在の常識とは変わっているはずだ。
そしてその種の区別は、処理能力があまり高くないために、「理解」というデータ圧縮プロセスを介さざるを得ない人間の頭脳だけが必要とするのだろう。

2019-06-16

ルート・ブリュック展

ルート・ブリュック展を観てきた。

抽象度の上がる後期の作品、特に「泥炭地の湖」が好きだった。
黒一色。
直線や円といったシンプルな図形。
釉薬の有無による反射率の違い。
そういったミクロな抽象的要素が集まることで、複雑なマクロが構成されている。
近寄って見たり、遠くから眺めたりすることで、ミクロとマクロのスケール横断が実感できる作品になっているように思う。
抽象的でありながら、視覚的だけでなく触覚的にも感じられるのは、ミクロとマクロの横断があるからだろうか。

2019-06-08

六古窯

よく行く喫茶店で招待券をもらっていたので、出光美術館で「六古窯」展を観てきた。

粘土という塑性体を用いて創造されたかたちは、焼かれることで変形・変色しながら剛性を獲得し、時代と場所を超えて維持される。かたちを留めるだけの固さを得る代償として、脆さとかたち自体の変化を受け入れざるを得ないという、やきもの独特の秩序の在り方。焼成の途中で倒れたことで、横に流れるような釉薬の模様がついた双耳壷に付けられていた、「熟練した作り手でさえもコントロールできない、土と火の格闘」というキャプションが印象的だ。

人工的な制御可能性から免れる、いろとかたち。対称であろうとしながら、不可避的に非対称性をはらんでしまうという随意と不随意の拮抗の中に、対称性・再現性・簡潔性・論理性を追求した先にある「きれいさ」とは異なる、「美しさ」があるのかもしれない。
意図した秩序の実現=固定化=技術性と、意図しない秩序の変容=発散=芸術性のバランス。3Dモデリングと3Dプリンタによる造形過程に、この非対称性の不随意な混入を招き入れることは、如何にして可能だろうか。


2019-06-05

physical, logical, virtual, ethical

logicalとvirtualは、いずれもデータを抽象したものを形容する語であるが、データサイズを減らす際の圧縮方針に違いがあるように思う。

logicalは、当該用途に関する構造を表現可能な範囲で、最大限に圧縮することを指向する。
virtualは、当該用途で処理可能な範囲で、最小限に圧縮することを指向する。

それらの抽象の元として想定される、人間による抽象が一切なされていないデータ、与条件としての「自然な」データが、physicalである。

ethicalは、抽象方法が常識化・慣習化した様を言う。
経路依存性があるため、集団ごとに全く異なるethicsを形成し得るが、physicalの斉一性を想定することで、ある程度の共通部分があるとみなすことは可能である。ethicalは、physicalがこうであるべきという規範、あるいはこうであってほしいという願望へと裏返ることで、集団がそのままであり続けようとするホメオスタシスの慣性を生み出す。

現実世界というPhysical Reality。
人間の知覚センサと周辺機器の性能が許す限りの範囲で、より多くのデータを盛り込もうとするVirtual Reality。
元となるPRを再構成可能な範囲で、より簡潔な表現を目指そうとする、数学、俳句、詩、抽象絵画などのLogical Reality。
PRにオーヴァーラップすることで、人間集団の瓦解を防ぐEthical Reality。

2019-06-04

二股の発展形はマルチマタ。
単数形ならヒトマトン。
独身者はオートマトン。