2019-02-14

新しい実在論

マウリツィオ・フェラーリス「新しい実在論」を読んだ。

メイヤスーが近代哲学を「相関主義」とみなすのに対し、フェラーリスは「構築主義」とみなす。単に主体に相関する客体でなく、主体による構築の結果としての客体を扱ったのが近代哲学だ、という見解だ。ここから、修正可能な認識論と修正不可能な存在論の峻別の議論が始まる。

存在には認識から独立した構造がないという信念の下、認識によって構造化=構築されたものを存在と混同するという超越論的誤謬を犯すのが構築主義だ。それに対し、存在には認識に先立つ構造があり(つまり構造的に不透明)、認識によってあらゆる構築が可能な
わけではないというのがフェラーリスの立場である。認識による構造化に対して現れる抵抗、すなわち構造の修正不可能性が存在を特徴付けている。その抵抗は、単なる否定ではなく、認識による多くの可能な構造化の仕方に対して真偽や優劣を与える規定にもつながることで、肯定としてのアフォーダンスの側面も有する。こうして、抵抗かつアフォーダンスを与える環境という存在論が描き出される。「存在するとは、何らかの環境のなかで抵抗するということである」。そのような環境の中で、抵抗やアフォーダンスによって
引き起こされる、認識による構造化の仕方の変化こそ、「存在からの思考の創発」であり、「思考は現実という基盤のうえに生じる」。

さらに、認識によって新たに与えられた構造もまた、記録されることで、認識から独立した修正不可能な構造として存立することが可能になる。すなわち、文書と記録=ドキュメンタリティによって、書き込まれた行為としての社会的対象という、新たな対象が存在可能になる。ここに、フェラーリスは人間らしさを見出している。

除算モデルで言えば、存在は割られる対象で、認識は除数で割ることであり、修正不可能性とは、除算によって構造化される以前に、割られる対象自体がある構造をもっているということだ。この場合、勝手な除算はできず、「よい」除算と「わるい」除算の区別が付くことになる。勝手な除算ができない=抵抗があるというのは、一方で「よい」除算を探る手掛かり=アフォーダンスともみなすことができ、いろいろと除数を変えて割り直してみる=思考することにつながる。割られる対象の修正不可能な構造を、書き込みによってえいやで入れ込んでしまえるのが人間であり、個人的にはそれを投機的短絡と呼んでいたのであった。投機的短絡において、えいやで入れ込んだ構造が修正不可能になるために必要となるのが「理由」だと思うが、ドキュメンタリティの話では、それが「記録」と呼ばれているのだろう。

dataとinformationの相対性の話を思い出せば、存在論と認識論の関係もまた相対的なものであり、dataからinformationへのある抽象過程を認識論だとみなしたとき、そのdataがinformationであるような抽象過程=存在論があるというだけの話のような気がしなくもない。典型的には、思考=心理的身体を認識論としたとき、それは肉体=物理的身体という存在論を基盤としている。では、物理的身体を認識論としたとき、それが基盤としている存在論の修正不可能な構造は、心理的身体にとって修正不可能だとみなされる物理的身体による抽象過程によって埋め込まれる構造よりも真に緩いということはないのだろうか。ある意味では、顕微鏡や望遠鏡のような道具の発明、あるいは近代科学の営みの全てが、その解明を目指しているとも捉えることができ、修正不可能性というのは減少し得るのではないかとも思う。

このあたり、同じ特集の野村泰紀とガブリエルの対談の中で出てくる、波の話が関係あるように思う。ある一貫性のあるコヒーレントなかたちで動いている水分子のパターンを、波と分子のいずれとみなすか。あるいは、原子や素粒子のレベルで捉えることもできる。波だけでなく、イルカや人だって同じだ。個人的には、野村泰紀の言うように、どのレベルを「本当の」存在論とするかは割とどうでもよく、あるレベルの存在論を仮定することで対象を単純化し、高速かつ高効率に思考できるという人間らしさや(これはつまり投機的短絡だ)、そうした過程の中で見えてくる修正不可能性自体が、実は人間の思考様式の反映なのかもしれないという点に面白さを感じる。

存在論と認識論の相対的な関係を遡った先に、それでも修正不可能性は残るかという問いだけに留まっていては、構築主義と同じだろう。フェラーリスだけでなく、ガブリエル、メイヤスー、ハーマン、野矢茂樹など、このところ様々なかたちで実在論への回帰が進んでいる。これらは除算の手がかりを与えることで、なんでもありの除算が許されてしまいかえって除算が不可能な状況、すなわち瓦解に陥ることの回避につながるように思う。この様々なレベルでの実在論の設定は、すべて理由付けに基づいている、あるいはドキュメンタリティから派生している、と言えるだろう。理由付けやドキュメンタリティと呼ばれるものから生まれる、新たな修正不可能性を帯びた構造のことを、因果関係と呼んでいるのではないだろうか。新たな因果関係は、相関関係や別の因果関係などの、既にある修正不可能な構造と相互作用しながら思考を促す。その営みのうちに人間らしさを垣間見るのが楽しみである。

2019-02-09

主語がでかい

いわゆる太宰メソッド。

統計的差別においては、大数の法則への依存が主語をでかくするのである。

「日本」確立の寓話としての竹取物語

618年に成立した唐は、7世紀当時、広くアジアに影響を与えた帝国であったとされる。東アジアの小国の倭国にとって、対外戦略は喫緊の課題であったはずであり、7世紀後半は、唐に倣うべきかと唐に逆らうべきかの間で揺れながら、「日本」と「天皇」を確立しようとしていた時代だったと言える。

乙巳の変(645年)は、百済重視の外交保守派による外交革新派へのクーデターだったが、白村江の戦い(663年)での敗戦で百済重視は行き詰まる。その後、クーデターの当事者でもあった天智天皇は唐化にシフトして「日本」や「天皇」を確立しようとした。これが実質的な大化の改新であったと思われるが、国内外へのアピールとして、乙巳の変の直後に時代設定を改変する必要があったのだと推察される。急激な唐化への反発として起こった壬申の乱(672年)で勝利を収めた天武天皇は、「日本書紀」と「古事記」の編纂、天照大御神の設定や式年遷宮の開始を含む伊勢神宮の確立などを通して、唐の真似事に終止せず、大陸の影響と土着文化を上手く編集するかたちで、「日本」を確固たるものにしようとした。唐という巨人がもたらした不安定な国際情勢の中で、中央集権化によって独立を維持しようとする一連の動きは、大宝律令(701年)の制定をもって、一応は成し遂げられたと言える。

成立から約300年、かつては巨人であった唐も不死身ではなく、907年に滅亡する。その少し前、894年には菅原道真によって遣唐使が廃止されており、9世紀後半にはもはや唐は脅威ではなく、「日本」という国家が確立されるきっかけを与えたかつての脅威として語られるものになっていたのかもしれない。それが竹取物語だと考えてみるのも面白い。

擬人化された律令国家としてのかぐや姫が、竹のようにすくすくと成長し、壬申の乱の面々を翻弄する物語。月は唐であり、帝は天武天皇だろうか。その一連の物語をまとめたのは、菅原道真だろうか。

歴史にも竹取物語にも諸説があり過ぎて空想の類にしかならないが、どこか腑に落ちるところもある。

2019-02-08

きれい

雑多な情報が濾過されることで、特定の情報だけが抽出される。その抽象過程を経たものを形容する言葉が、「きれい」である。
An At a NOA 2018-08-07 “濾過
複雑なデータが簡潔な情報へと濾過されてできた、きれいなもの。多くの対称性を有することで、パラメタの少なさと不釣り合いなほどに膨大な対象を表現し得る点に、きれいさが宿るのだろう。

対称性が獲得される過程で、非自明な自己同型にそぐわない「きたない」部分は削ぎ落とされる。ときに、その「きたない」部分に目をつけることが、新たな視点をもたらすこともある。

1を聞いて10を知る

1を聞いて10を知るのは、1をやり取りした両者が十分に文脈を共有していれば難しくない。情報の圧縮効率は、パターンが固定化しているほど高くなるということだ。

溜め込まれた知識は、固定化したパターンである。迅速なコミュニケーションが必要なときには有用であるものの、パターンをリセットしたり、別のパターンを見つけたりするには、それらを一旦抽象しなければならない。

1を聞いたとき、0や虚数単位iを知れるだろうか。

知者不博博者不知
A wise man has no extensive knowledge;
He who has extensive knowledge is not a wise man.
老子
Lao-tzu