2020-05-26

縦書きと横書き

書字方向は、媒体をスクロールしやすい方向に合わせて決まっていったのではないかと思う。

文字の読み書きは人間と媒体が相対的に移動することで行われる。言語は直列にエンコードされる情報であることがほとんどであるため、デコードがうまくいくためには相対移動の方向が一意的に定まる必要がある。書き言葉におけるこの一意的な相対移動の方向が「書字方向」である。一意的に定まれば曲線でもよいのだが、最も自然なのは直線である。ただし、人間の視野は線状ではなく同心円状であるから、直線が伸び過ぎて読みづらくならないよう、程よい長さで直線は途切れ、書字方向と直交する方向への相対移動が生じる。この相対移動の方向を「スクロール方向」と呼ぶことにする。スクロール方向の移動が生じる際、書字方向には本来と逆向きの相対移動が生じるのに対し、スクロール方向の移動は一方向のみで戻ることがないという点も両者の違いである。文字の読み書きは、書字方向に起こる連続的な相対移動とスクロール方向に起こる間欠的な相対移動によって行われているため、媒体のサイズや重さに応じて相対移動しやすい方向があることで、書字方向とスクロール方向が決まっていったのではないかというのが上記の仮説だ。

大きくて重い媒体(壁や粘土板)は、媒体は動かさず人間が動きながら読み書きする。媒体に合わせて文字も大きくなると、一文字ごとの相対移動量は大きくなる。人体の構造上、目や腕を大きく動かすには、屈伸運動をして地面に垂直に動かすよりも、歩いて地面に平行に動かす方が容易であるため、連続的に生じる相対移動は横、間欠的に生じる相対移動は縦とするのが自然であり、横書きが主流になったと考えられる。

小さくて軽い媒体(木簡や巻物)は、人間は動かず媒体を動かしながら読み書きする。媒体に合わせて文字が小さければ相対移動量も小さくなるため、目や腕を動かさずとも、視線や肘から先だけを動かせば済むようになる。人体に対して腕は左右についていることから、媒体を縦スクロールするよりも横スクロールする方が容易であるため、横スクロールに合わせて書字方向を縦書きとするのが主流になったと考えられる。

電子媒体には物理的なサイズや重さの制限がなく、縦スクロールも横スクロールも同程度に容易であるため、縦書きと横書きのどちらでもよい。横書きが主流な文化で生まれたという歴史的経緯によって縦スクロールが主流となったというだけであるが、物理的な制限から解放された媒体の書字&スクロール方向が、小さくて軽い媒体ではなく、大きくて重い媒体と同じであるというのは面白いように思う。

2020-05-04

芸術人類学講義

鶴岡真弓編「芸術人類学講義」を読んだ。

ありのままの環境は、生身の人類にとって益にも害にもなり得るような、種々雑多な情報の流れである。恩恵をもたらす一方で、時に苛烈でもある情報の流れから、少しでも多くの益を貰い受け、少しでも多くの害を避けようと試み続けた結果、人類は数多の生命の中で最も環境を制御できるようになった。己のために環境を巧みに破壊・創造することが、あらゆる人間活動の根底にあるように思う。その最たるものが言語であり、周囲に溢れる大容量の情報を次々とコンパクトな視聴覚情報に圧縮することで、見かけの処理能力は飛躍的に増大する。しかし、圧縮率を高めれば効率はよくなるものの、その過程で失われる情報も多くなる。津波という情報そのものに遭遇してしまえば、飲み込まれて生命を落とすかもしれないが、津波を伝える言葉は圧縮され過ぎていて、その凄惨さを表現し切れないこともままある。

本書で扱われる、「祈り」、宗教、「象」、装飾、芸術、といったものも、苛烈な環境から一部の情報を取り出すプロセスとして始まったのではないかと想像する。環境という情報の流れが本来もつ一筋縄にはいかない様を、なるべくぶった切らないように掬い取るような抽象化。ありきたりな分節化では失われてしまう情報を保存するようなデジタイズ。自然に手を差し伸べる方法としての芸術というのは、そのあたりのことを言っているのではないかと思う。