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2019-09-07

月影

月影が 蕩けて淡し 心字池

月光

月光を 集めて妖し 心字池

2017-10-05

飛ぶDove

飛ぶ飛ばす 都バスはとバス 鳩サブレー

2017-10-02

哲学的ナスビ

哲学的ナスビ(Philosophical aubergine, p-aubergine)は、
「物理的化学的電気的反応としては、普通の茄子と全く同じ
であるが、嫁は食べることができない茄子」と定義される。

初夢に登場しても、嫁が君もまた食べることができない。

嫁が君 食えぬ茄子は 人の夢

--
一富士二鷹に次ぐ三茄子も、人の見る夢であるからには
ネズミの食べられるものではない。
哲学的ナスビは哲学的ゾンビに通じ、哲学的ゾンビという
概念もまた要素還元主義の見せる夢でしかない。
そもそも、意識やクオリアと呼ばれるものも同じように
儚いものなのではないか。

2015-11-24

5周年

Xシリーズ5周年に応募した。

X-E1を買ったのは2012年の秋だったので、
Xシリーズを手に入れてから3年経つ。
ボディはX-E1のみ、レンズは18-55mmF2.8-4、
23mmF1.4、35mmF2、90mmF2の4本。
買った日の帰り道に撮った夜景が予想以上に
見た目通りに撮れたことに、いたく感激した覚えがある。

元々、植田正治さんの写真が好きで、
鳥取の植田正治写真美術館も訪れた。
2009年にはたまたま見に行った展覧会でMichael Kennaを知り、
すぐにファンになった。
両者とも、徹底的に要素を集約することで、
詩や俳句のような趣をたたえた写真が多いと思う。

応募作品は昨日の御苑の写真にした。
京都の五重塔の写真と悩んだが、色の組み合わせは
こちらの方が好きだ。
都会の中でも、植田正治さんやMichael Kennaのような
写真を撮りたい。


「押し花」

都会では雑然さが空まで拡がっている。
小雨の混じる秋曇りの新宿御苑にて、
未だ侵食を逃れている空を仰ぐ。

秋曇り 押しも押されも せぬ余白

2015-08-14

里帰り

参道に
蝉しぐれ降る
里帰り

道端に
誘う香りは
焦げ醤油

嗚呼と泣く
声はカァだと
聞き取られ

2015-08-08

勝浦

夕暮れの
森、ひぐらしが
鳴いている

わかしお

単線を
行く特急の
この旅情

2015-07-30

増上寺

初夏や
蝉なく寺を
ゆく坊主

炎天下
苔むす地蔵の
手には花



--
並んだナランダ、赤白黄色

2015-07-26

川辺

欄干に
もたれしばしの
沢涼み



--
猛暑日という言葉も、できて久しい。
連日の35度を超えるうだるような暑さの都会では、
高速道路の下を流れる川でさえ、
ひと時の涼を与えてくれる貴重な要素である。

2015-07-24

セッション

にわか雨
重ねて聞こゆは
蝉しぐれ



--
亜熱帯気候のように降るようになったにわか雨。
つられて鳴き始めるのは決まってツクツクボウシだと
感じているのはただの思い込みなのだろう。
雨がドラムスなら蝉はギターだ。
今日もまた気まぐれな真夏のジャズセッションが
始まろうとしている。
しばし店の軒先で耳を傾けようか。

2015-07-23

淡い

春よ来い
願う乙女と
麦帽子


--
遊び、部活、勉強に出かける学生が駅のホームにちらほらと。
世には夏来たるらし、乙女の春は遠かるらし。

花火

満開は
まだかまだかの
夏夜空



--
ヒューという音を立てて、
また次の打ち上げ花火が昇る。
火の玉が消え、ほんの一瞬訪れる静寂と闇。
一秒あるかないか。
花開くまでの時間は、緊張と期待に溢れ、
必要以上に長く感じられるものだ。

縁側

目を遣れば
うちわ風鈴
蚊取りブタ


--
梅雨が明け、雲が高く積まれるようになったある日の午後、
ふと縁側を見ると祖母が休んでいる。
右手にはうちわ、鴨居にはふうりん、
傍らにはブタのかたちをした蚊取り線香入れ。

いつか見たことがある気がしているが、
どのくらいの人が実際に見たことがあるだろう。
今年も夏がやってきた。

夕涼み
ひねもす鳴く音は
あと幾夜



--
最近では昼夜を問わず蝉が鳴いている。
黄昏時にボーっとその声を聞いているとき、
ふと七日目はいつかと思い至る。

私の七日目はいつくるのだろう。