海は可能なものをわたしの目に示し続けているとヴァレリーは述べた。
ポール・ヴァレリー「海への眼差し」
「ヴァレリー・セレクション〈下〉」p.11
海は未だ理由付けられていない自然の宝庫であり、言葉の本来の意味での「未来」のイメージだ。
その手前に溢れる理由付けられた人工との、鮮やかなコントラスト。
海辺は、そんな人工と自然の境界線であり、そこには理由付けされる瞬間としての「いま」の風景が広がっている。
海辺に注がれるテラスからの眼差しは、様々な「いま」の入り混じるものとして、「マネ」「地中海」「パリ」「東洋」を楽しんだのだろう。
その眼差しこそが、ヴァレリーのもつ「きわめて勝手なただひとつの好奇心」の発露なのだと思われる。
それは精神のなかで思い描かれ、対象となり、決定されるさまざまなことがらよりも、精神そのものへ関心をもつということです。
ポール・ヴァレリー「デカルト」
「ヴァレリー・セレクション〈下〉」p.202
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