2015-10-31

nexus5xでドコモメールを受信

nexus5xに機種変更した。
指紋認証は意外とライフチェンジングだなと感じている。

ドコモメールのアプリがnexus5xに対応していないので、
ドコモショップで@docomo.ne.jpドメインのメールを
受信する方法を教えてもらう。
ちょっとつまずいたが下記の方法でできた。
2.と3.はWiFi接続ではなくspモード接続でないといけない。

1. docomo IDの発行
 元々利用していなかったので、まずはIDとパスを
 ゲットする必要がある。
 docomo IDのポータルサイトで新規発行。
2. ドコモメールを利用開始
 お客様サポートの各種設定→ドコモクラウド→ドコモクラウド設定
 でドコモメールが「停止中」の場合は「利用中」に変更。
3. docomo IDでドコモメールを利用開始
 お客様サポートの各種設定→通話・メール→メール設定
 →docomo ID利用設定の確認/変更で、
 「docomo IDでドコモメールを利用」を「利用する」に変更。
 この状態にすると、ブラウザ版のドコモメールも使えるようになる。
4. Gmailアプリの設定
 ここからはドコモショップで教えてもらった手順の通り。
 4-1. Gmailアプリを起動して、設定→アカウントを追加を選択
 4-2. 個人用(IMAPまたはPOP)を選択
 4-3. @docomo.ne.jpドメインのメールアドレスを入力し、
   手動セットアップを選択
 4-4. 個人用(IMAP)を選択
 4-5. docomo IDのパスワードを入力
 4-6. ユーザー名: docomo ID
   パスワード: docomo IDのパスワード
   サーバー: imap.spmode.ne.jp
   ポート: 993
   セキュリティの種類: SSL/TLS
 4-7. SMTPサーバー: smtp.spmode.ne.jp
   ポート: 465
   セキュリティの種類: SSL/TLS
   ログインが必要: チェックを入れる
   パスワード: docomo IDのパスワード
 4-8. 残りの設定はよしなにする。

ドコモショップでもらえる手順の用紙には4.の情報しか載っていない。
1.をやっていても3.をやらないと、4-6.の段階で「ユーザー名またはパスワードが
違う」となってしまうので、かなり戸惑う。
ネットを漁ると3.の情報は結構見つかるのだが、2.をやらずに3.に行くと
「docomo id 利用設定を行うにはドコモメールが利用されている必要があります」
とだけ表示され、にっちもさっちもいかなくなる。
ドコモショップを再度訪問したところ、サポートセンターに電話をしてもらい、
2.が必要なことが判明した。
難易度が高すぎる。

あとは、本当はGoogleアカウントで一括管理したい。
送信の方は受信サーバと送信サーバの情報がわかっているので
Gmailのメールアドレスを追加から設定できたが、できるだけ
リアルタイムで受信できるように@docomo.ne.jpドメインを
自動転送する仕組みを探している。公式ではやっていないようだ。
Thunderbird等のメールクライアントにやらせる方法も見つかるが、うーん。

2015-10-30

stをlinuxで

CUIのstをlinux mintに移植。
フォントのファイルパスを修正したのと
スクリプトのエンコーディングを直したくらいで動いてくれた。
numpyもreportlabもapt-getしたものでそのまま使えるのは便利。

os.listdirがソートされるかどうかがファイルシステムによるというのは
初めて知った。コードを直さなくては。

あと、vimで日本語の文字コードの自動判定がされていなかったのを修正。
@koronさんのencode_japan.vimを.vimrcからsourceすることで、
いい感じに判定してくれる。何と言う手軽さ。
autoloadにkaoriya/switch.vimも入れておく。

@ynkdirさんが実装したguess.vimもあったのだが、
とりあえず上記で動いたのでよしとする。

2015-10-29

?る












































2015-10-26

木枯らし一号

こがらしいちごう

ごこちがうらしい
五個違うらしい

2015-10-23

彼女は一人で歩くのか?

新レーベル「講談社タイガ」から出た森博嗣の新刊
「彼女は一人で歩くのか?」を読み終えた。


時代は二世紀ほど未来、
ウォーカロンと呼ばれる人工生命体が普及し、
人間が簡単には死ななくなった世界の話である。

最近、にわかに人工知能関連の情報が一般に広がりつつあり、
ニュースや本の量はこの一年で急増した感があるが、
そこで目や耳にする情報よりも二段階くらい先の世界を
想定しているように思われる。
人工細胞の生成技術が発展し、人工知能はもはや現在の
コンピュータの延長とは思えないほど生命体に近づいている一方で、
人間そのものに対しても人工細胞による治療が取り入れられ、
こちらはこちらでもはや現代の意味での生命体とは一線を
画している。
双方から歩み寄った結果として提示される哲学的な問題の数は、
おそらく今後衰退の一途をたどる宗教の力を
再び取り戻させるのに十分だろう。

ハギリの研究テーマである、人間とウォーカロンの識別方法。
それはウォーカロンを区別し、人間が人間であり続けたいという
自己防衛手段であると同時に、如何にしてウォーカロンと
人間が同化していけるかを探るための兵器にもなる。
果たして人間は優秀な道具を求めているのか、
自己の再生産を目指しているのか。

ウォーカロンに生殖機能がないことと、人間の生殖機能が
衰退しつつあることの類似性に関する提起も面白い。
死を受け入れることで次の生が得られるという発想は、
「スカイ・クロラ」シリーズに通ずるものがある気がした。

英題は"Does She Walk Alone?"。
ウォーカロンには"walk-alone"という英訳が当てられているので、
これは同時に"Is She a Walk-alone?"でもあると思う。
この"She"も、ウグイでありマナミでありミチルであり、
もちろんミチルの保護者でもありうる。
いや、彼女Sheとあるから女性に限定して列挙したが、
本来はハギリも含めて登場人物全員であると思うし、
もしかしたら読者自身でもあるのかもしれない。
このネットが見せるものは、本当に現実の世界なのだろうか。
正しい情報だろうか。
疑えば、どこまでも疑わしい。
(p.200)

〈熊の生態〉に現れたあの文章。
「黒い魔法」とは暗闇。
「白い魔法」とはウェディングドレス。
「赤い魔法」とはレッドマジック。
「すべてがFになる」とどのくらい関係があるのかはわからないが、
そんなことを妄想してしまった。
そういえば「すべてがFになる」の中で、犀川先生は「赤」が象徴するものを
いくつか挙げたが、その中に「夏」がなかった。
今は夏。彼女はそれを思い出す。
夏にかけられた魔法だったからレッドマジックだったのだろうか。
その魔法は二世紀経っても未だ有効であり、
人類は限りなく延ばされた一瞬の中で、
それに対する答えを探り始めている。

2015-10-22

s&s

しらぬがほとけ
ぬけがらとほし
shell and star
he strands all

2015-10-21

実験

実験とは極めて厳密な経験のことである。
英語だとexperimentとexperienceだし、
日本語では(おそらくそれにならって)
同じ験の字が当てられている。

golangのbufio.NewReader,NewWriter

svgmodを組んでいたときに、
golangのbufio.NewReaderとbufio.NewWriterで
長い行を扱うことがあった。
bufio.NewReaderSizeでバッファサイズを指定しても良いが、
どのくらい長いかわからなかい場合でも
下記の方法で読み書きができる。

// inpから読み込んで、文字列置換してotpに書き出し
このgist-itというやつ、便利だ。

シェルスクリプト習作

abaqusのパラメトリックスタディをするプログラムが
/tmpにファイルを吐くのだが、一解析分で500MBくらいなので
すぐに/tmpの容量が足りなくなる。
ということで、ひねもす解析を回すために/tmpディレクトリに溜まる
特定の名前のファイルを指定数だけ残して自動削除する
プログラムを先日golangで書いて運用していた。

sort.Reverseに関する勘違いのために一晩の解析の約八割が
無駄になるという悲劇をみたものの、それ以降は特に問題なく
動いている。
// sort.Reverse(list)ではなく、sort.Sort(sort.Reverse(list))としないと
// 逆順に並ばない。

それを今日シェルスクリプトで書き換えてみた。
やはりこういうのはシェルスクリプトに一日の長があり、
golangで160行のプログラムとほぼ同等で機能的には十分なものが
40行くらいで書けてしまう。
シェルスクリプトの良い練習であった。

p.s.
gvimにおいてタブバー領域のみマウスをoffにする機能を探している。
Alt+Tabでウインドウを切り替えれば良いのだが、マウスで切り替えたときに
意図せずタブが切り替わってしまい困る。

サンプリング

お昼からの帰り道、構内でチアのマーチングバンド演奏を耳にする。

吹奏楽なのでもちろん歌詞はないのだが、
「ラララ」のあたりでこれはもしやと思い、
「空をこえて」の「ら」のあたりで鉄腕アトムの主題歌だと気付く。
メロディのようなものが聴こえてきた瞬間から、
無意識のうちに記憶のインクリメンタルサーチをしているのだろうか。

一音ごとに曲の候補が狭まっていき、その中でも吹奏楽の
定番曲という条件が付加されることで、かなり早い段階で
概ね正解にたどり着く。
正解がわかるケースでは一致する記憶があるため、
データベースの検索(select * from music where melody like 'fa mi le do%')の
ようなイメージで捉えやすいが、「聴いたことがある」という感覚は
これでは表現が難しいように思う。
ニューロンの発火パターンの強化具合に応じて「聴いたことがある」感じが
増幅されるのかもしれないが、そうすると発火パターンには時系列的な
記憶も刻まれていないといけない。

前後関係の記録はどんな形式で保存されているのだろう。
サンプリング周波数はどの程度だろうか。
知覚自体とそれを意識にのぼらせる処理ではきっと周波数が違うはずだ。

p.s.
鉄腕アトムの主題歌って谷川俊太郎作詞だったのね。

2015-10-20

ページ番号

講談社タイガのページ番号は下の外側に付いている。
上の外側に付いているときは「肩」と呼ぶ気がするけど、
下の場合は何と呼ぶんだろう。

個人的には「かかと」が好きだ。

どちらかというとかかとにページ番号がふってある方が好みだ。
マーカとして上を折ることが多いので。
そういえば、これは英語だとdog earだ。
その場合、対応するのはもちろんtailだろう。

白い

冷水を「白い水」と言ってしまう。
まったく不意に思い浮かんだので
説明が付かない。

タイガ

講談社タイガが発刊された。
買ったのはもちろん森博嗣の「彼女は一人で歩くのか?」である。
組版がきれいだ。何というフォントを使っているのだろう。


最近はjavaからabaqusを呼び出してパラメトリックスタディをする日々。
一系列回すのに4時間くらいかかるので、取り急ぎやりたい分の
半分くらいしか終わっていない。

解析を回している裏で、グラフ生成プログラムを書き始めた。
h2というデータベースを使っているのだが、
残念ながらgolangのdatabase/sql用のドライバが見つからない。

Postgresql形式でもアクセスできそうなのだが上手くいかず、
Kotlinでも使ってSQL文を投げてデータを返すだけのプログラムを
書いてみようかと思ったら、h2.jarを使ってできることが判明。

h2.jar→データ整形(sed&sort)→プロット(awk&gnuplot)→ラベル修正(svgmod)
という手順でグラフを作るためのシェルスクリプトを起こしていた。
シェルスクリプトは色々と文法が複雑であちこち調べて何とかという感じだ。
よくよく考えると、svgmodのところはsedで十分だな。

highway

また新しいgrepがきた。
highway という高速検索ツールを作りました

linux mintだと、

sudo apt-get install autoconf automake libgoogle-perftools-dev
git clone https://github.com/tkengo/highway
cd highway/
./tools/build.sh

でビルドできた。

ファイル名が各行にくるのではなくて、
ファイル毎に検索結果がまとめられているのは
見やすいと思った。
まあ、次にパイプしたりするのには不便だろうけど。

@mattn_jpさんが早くもwindows portingを済ませたようだ。

常識2

あるいは、ほとんどの人間は異常だ。
異常を平均したものが常識という幻想だといっても良い。
森博嗣「ジグβは神ですか」

2015-10-19

swift2.0?

まあ、比べるべきもの同士ではないのはわかるんだけど、
golangが1.0以降、backward compatibilityを堅持しながら
GCのパフォーマンスを劇的に改善したりしているのに対して、
swiftは早くも2.0が出て、もはや別言語になっているみたいな話を聞くと、
なんだかなあと思ってしまう。

個人的には、構文糖衣が多くて助かるのはインタプリタ型の言語だけで、
コンパイラ型の言語にとってはむしろ少ないほうが保守性が上がると感じる。

2015-10-16

git add

linux mintの端末上でgit addのファイル名をtabキーで補完。

既にgit addされているファイル以外の名前のみを候補として
挙げてきた優秀さに戦慄した。

これ、誰がやってるんだろ。

2015-10-15

地べた

ベジタブル
じべたぶる 地べた振る

割れ鍋に綴じ蓋
じべたとなにわぶれ 地べたと浪速振れ

2015-10-14

みつめる

目偏に密で「みつめる」。
密かにみつめあう二人。
親密な間柄。
眼差しは密着する。

冬、悔恨

さむいふゆはよねんまえ
けせぬきおくのかたすみにあるへや
つちもひろわれてほしとなり
そらめをこう

寒い冬は四年前。
消せぬ記憶の片隅にある部屋。
土も拾われて星となり、
空目を乞う。

春、別れ

さくらのはなまいおちるひに
きみともわかれ
すこしやせたてへ
あめつゆふりぬ
ねむけ
ほんをそろえよう

桜の花舞い落ちる日に
君とも別れ。
少し痩せた手へ
雨露降りぬ。
眠気。
本を揃えよう。

秋、散歩

いつのまにもうあきね
ひかりさすみちゆくわれら
せんろそめるはをふむおとたて 
なけぬこえやほしよへ

いつの間にもう秋ね。
光さす道行く我ら、
線路染める葉を踏む音立て
泣けぬ声や、星夜へ。

2015-10-13

夏、コミケ

なつのおわり
ことしもまた
ゆうひをせに
いくさかちぬけて
むすめらよ
きみはほんそろえ
へやあふれるね

夏の終わり。
今年もまた
夕陽を背に
戦勝ち抜けて。
娘らよ。
君は本揃え、
部屋溢れるね。

2015-10-12

写真撮影

「はい、チーズ」という言葉。
英語だとcheeseのiの長母音でのばすので、
自然と笑顔になるが、日本語だとウの母音なので、
あまり意味がないという話があり、
代わりに「1+1は?」なども使われる。
「はい、ケーキ」はどうかとか、情報関係の集まりでは「2の5乗は?」も即答できるか、
というくだらないことを考えながら目黒まで散歩中。

音楽と言葉

昨日、半年かけて準備をした演奏会を終えた。
9年前に歌った曲を指揮したが、
当時以上に曲についていろいろと考察をした。
千原英喜作曲のおらしょである。

そもそものきっかけとして、2014年2月の長崎旅行があった。
この旅行で外海付近を歩いていなかったら、あるいは
遠藤周作の沈黙を読んでいなかったら、
曲の解釈を進んでしていたかどうか定かではない。

その後、「オラショ紀行」という本にも出会い、
遠藤周作や間宮芳生らとの対談を通した皆川達夫の
解説にも触れることで、様々な知見を得た。


■言語表記
歌詞にはラテン語の部分と日本語の部分があり、
日本語の中でも、「ひとつ唄いましょ」のような、
民謡の歌詞の箇所と、「きりやれんず」のような、
ラテン語が変容した歌詞の箇所とがある。
日本語はカクレキリシタンたちの発した言葉、
ラテン語は天からの声(作曲者は「遠い過去から
呼び掛けてくる声」と表現している)になっている。
ラテン語が変容した日本語については、「オラショ紀行」
によればカクレキリシタン本人が唐言葉だと認識していた
ほどで、元の意味は消失し、もはや意味不明の呪文として
唱えられているのではないかと思う。

■拍節
「オラショ紀行」に、「言葉がわからないから拍節が
あいまいになる」という内容のことが書かれている。
この曲では2/4、3/4、4/4、5/4などの様々な拍子が現れる。
民謡の独特の節回しや、ラテン語から変容した日本語の
意味のあいまいさから、そういった拍子の混淆が発生している
のかもしれない。


■第一楽章
出だしでは、Alleluiaという天からの声が
4/4拍子で規則正しく歌われたあと、3/4拍子に変わって
民謡を唄うテナーの声が入ってくる。
第一楽章ではこのパターンは守られており、民謡部分では
2/4と3/4が入れ代わり立ち代わり現れるのに対し、
グレゴリオ聖歌のメロディの部分は必ず4/4拍子となっている。

■第二楽章
「きりやれんず きりすてれんず」という呪文から始まる。
ここは4/4拍子ではなく、2/4と3/4の混ぜあわせになっており、
この言葉がラテン語の"Kyrie eleison, Christe eleison."とは
全く別物であることを表している。
続く「ぐるりよざどみぬ」も元は"Gloriosa Domina"だが、
お祭りの囃子のようなリズムで作曲されており、
意味よりも言葉のリズムの良さを優先した表現になっている。
日本語の次に、元のラテン語の歌詞が出てくるが、この部分は
第一楽章のAlleluiaと違って拍子が安定しない。
「オラショ紀行」によれば、民謡的なものの拍節が安定しないのは
東洋西洋同じのようなので、グレゴリオ聖歌としては
割と普通のことのようである。
調が変わってまた出だしに戻った後、「みぜれめん」に入る。
この部分はほとんど音が一定で、音量はppで歌われる。
これは、カクレキリシタンが唱えている様子を的確に再現しているのでは
ないかと思うので、この部分は抑揚を全く付けず、発音すら
あいまいにした方が、雰囲気としてはあっているのではないかと思う。
「ばんじにかないたもう」からは日本語でキリスト教の教えを
伝える部分になっている。全体として女声と男声が交互に歌う構成だが、
「でうす」や「くろす」などの言葉は全パートで歌っているというところに、
カクレキリシタンにとってこれらの名詞が大事な言葉で、
これくらいは意味がわかっていたのではないかということを思わせる。
「たてまつる」の「る」の音で全パートが揃った後、
次の和音では天からさす一筋の光のような輝きが表現され、
さらに次の和音ではベースが入ることで安定感のある重厚な響きになる。
そこから立ち上がる「あんめいいえぞす」は、カクレキリシタンの
魂の限りの叫びとなっており、forteで各パートが下から順に
重なっていく。ここで楽譜の表記方法が切り替わるのが場面の転換を
表しており、「ばんじにかないたもう」を歌ったバスチャン屋敷のような
薄暗い場所から、天主堂のような響きの良い場所へと移動する。
「いいえぞす」の「す」の音が天主堂に満ち溢れた後、
その残響として響き渡る「まりや」の旋律はpianoで歌われ、
いつの間にか天からの声としての"Amen"に切り替わる。
ここで再び楽譜の表記が元に戻り、天からの声が"Kyrie eleison,
Christe eleison."と唱えて曲が終わる。出だしの「きりやれんず 
きりすてれんず」と呼応するように。

■第三楽章
この曲は遠藤周作による小説「沈黙」の世界である。
出だしのオロロンという言葉は、この地方のお子守歌に共通する
あやし言葉であると同時に、波を表現する。
それは「沈黙」の中で、
ただ私にはモキチやイチゾウが主の栄光のために呻き、
苦しみ、死んだ今日も、海が暗く、単調な音をたてて
浜辺を噛んでいることが耐えられぬのです。
この海の不気味な静かさのうしろに私は神の沈黙を
―神が人々の歎きの声に腕をこまぬいたまま、
黙っていられるような気がして……。
と表現された海の波である。
浜辺にて「汐は半から満ちね」と歌い出すのはカクレキリシタン
だろうか。時代が下った視点になっていると思うので、
江戸時代に迫害された先祖を思う、カクレキリシタンの子孫なのだろう。
「瀬戸の潮騒ゃね」の後、「波打つ際によ」という部分では、
歌い手がふと我にかえって自問するかのようにpで歌われる。
モキチが磔にされた波打ち際を思い出してしまったのだろうか。
「アー 参ロヤナ」からのカタカナ表記になっている箇所は
先祖が歌った箇所になっていて、これは「沈黙」に出てくる
モキチをイメージしているのではないかと思う。
波打ち際に磔にされ、ゆっくりと死に近づく中で、
それでも俺はまだ生きているということを仲間に伝えるために
息たえだえに歌った「ダンジク様のお歌」。
この部分は必死さが出るように歌えると雰囲気が出ると思う。
その後、獅子の泣き歌に戻ったあとでは、モキチが浴びることの
できなかった朝日を大事にするかのように、「朝日」という単語
だけがritenされmfで歌われる。
最後は再び第一楽章から続く4/4拍子の聖歌に戻ってくる。
天からの声が消えゆくように終わっていく様は、
救いを表しているのだろうか。



以上、思ったことを長々と綴ってみた。
10年後に見返したとき、自分はどう思うだろうか。


演奏会後、合唱団の後輩と話した際に、音楽と言葉は
どちらが先なのかということを考えた。
どこから先を音楽や言葉と呼ぶのかにもよるが、
叫びのようなものを言葉と定義しなければ、
音楽の方が先行しているのが自然ではないかと思う。

叫びというのは他の動物にも共通する情報伝達手段であり、
コミュニケーションの原初になっていると思う。
そのバリエーションとして、音程や強弱をつけたりする中から、
音楽のようなものが生まれるというのはありうる。
あるいは道具を使うことで楽器のようなものも
生まれただろう。

意味を保存する手段としての言葉が発生するには
意識の誕生を待つ必要がある。
あるいはむしろ、言葉というプロトコルの誕生により
意識が存在できているのかもしれない。
このあたりはかなり微妙な問題で、よく理解しきれていないが、
死ぬまで考え続けられるよいテーマである。

2015-10-10

wedgwood

ショック。
3年前に引出物でもらったウェッジウッドの
お皿を割ってしまった。
まさに「アタシのウェッジウッドがーー」状態である。
ハンティングシーンの18cmのプレートでも買い足そうか。

すべてがFになる

アニメが始まった。

予想していたよりもできがよい。
これは毎週見れそうだ。

しかし時代設定崩してしまって大丈夫か。
登場人物の生年月日や事件の発生年月まで含めて
まるまるずらせばよいのだろうけど。

それにしても、もう小説の発刊から20年近く経つというのに、
去年はドラマ、今年はアニメと、メディア展開が急に拡がっている。
フジテレビに森博嗣ファンでもいるのか。


おー、そしてやっとジグβの文庫版が出るらしい。

p.s. 後日
ジグβを読み始めて、そこはかとない既読感をもっていたら、
やはりノベルス版を持っていた。
ちょっとショックだったけど、せっかくなので文庫版で
ひと通り読み返した。

2015-10-09

VAC

なぜ、IDEじゃなくてVimを使うか。
とってもいい記事。
いい記事なんだけど、VACが365日続いたのが
すでに2年前だという事実に驚愕した。

有るか無いか

動く歩道

ほどくうごう ほどく烏合

歩く歩道ではない。
歩道は歩かないか。
歩道は有るか無いか。

2015-10-08

飛んで火に入る夏の虫

とでんにひるなむつのいし 都電ニヒルな陸奥の医師
ひでるしつないのむにとん 日照る室内飲む二トン
ひでんのしるにないとつむ 秘伝の汁煮ないと詰む


Born to be burnt , summer moth.

2015-10-06

goroutineの同時実行数

これ、やりたかったことだ。
Goroutine の同時実行数を制限する

バックアップ用の自作プログラムで
goroutineの数が多すぎて落ちていたのが
解消されるかもしれん。

p.s.
何故か昨日、ウクライナからのアクセス数が
とても多かった。謎

2015-10-05

linuxでvimのime制御

windowsのvimではノーマルモードに戻ったときに
IMを自動でOFFにする設定にしていたので、
Linuxでもそうしたい。
というかノーマルモードで日本語を使うケースは皆無だ。
(少なくとも自分のケースでは)

方法を探していたらFcitxの場合について
koronさんが記事を書いている。
FcitxでVimからIM制御する
便利。

古希

古希ん若衆

需要がない(確信)

2015-10-03

study04

たしにめをつけけつをめにした
他紙に目をつけ、けつを目にした。

たしにめをつけんかといわれわいとかんけつをめにした
他紙に目をつけんかと言われ、ワイと完結を目にした。

るすにだむをみるあるみをむだにする
留守にダムを見る。アルミを無駄にする。

アルミ缶

イルカショーにいるカーショウ
シルクロードを知る蔵人

2015-10-02

トナカイ

トナカイと仲良いんですね。


サンタクロースとかけまして、
おしどり夫婦とときます。
その心は、
どちらも
パートナーと仲良い/パートナートナカイ
でしょう。

vim

linux mintでvimをコンパイル。
長らくwindowsでコンパイル済みの+kaoriya版を
使っていたので、初めてだ。

これこれを参考にして少し調整して何とか完了。

後者に書かれているperlオプション指定時のエラーについてだが、
ここで指摘されているように、libperl.so.5.18のように
なっていたためのようで、
ln -s /usr/lib/libperl.so.5.18 /usr/lib/libperl.so
とすると解決した。

すでにvim自体がgithubに移行しており、今日時点での最新が
7.4.889なのに対し、google codeから拾ってこれたのは
7.4.827だった。

github移行後のものにパッチを当てる方法については
koronさんが直々に用意してくれている様子。
koron/vim-kaoriya

2015-10-01

流山おおたかの森

やなおまもりがおかれたの やなお守りが置かれたの
おれもおやのかたまりがな 俺も親の塊がな
なりたがれおおやまのかも なりたがれ大山の鴨