2018-02-22

血か、死か、無か?

森博嗣「血か、死か、無か?」を読んだ。

細胞や国民が日々入れ替わっても、個人や国家は同じものとして認識され続ける。あるレイヤの個の同一性にとっては、それよりも低レイヤの個の同一性は問題にならないという特徴が、意識による抽象にはあるのだろう。

クローン、頭部を移植した存在、冷凍保存から蘇生した存在、直接会ったことのない存在、トランスファのように物理的身体をもたない存在。これらの同一性をもたらす基準はなんだろうか。それはつまり、こういった存在は、如何にして存在しなくなったことになるのかという問いと同じだろう。

ジュラ・スホ、マイカ・ジュク、サエバ・ミチル、マガタ・シキ。表面上の姿は変えつつも、100年単位で存続している存在を同一視することと、毎日顔を合わせている知り合いや自分自身を同一視することの間には、何か違うところがあるだろうか。

寿命がのびて、入力される情報が増えれば増えるほど、同一視の基準となる割り算の除数を大きくしなければいけないのかもしれない。いつでも除数を自在に設定し、駱駝にすらなれるのが、天才の天才たる所以だろう。

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