類人猿をHominoideaだとすれば、同人猿はHomoだろうか。普通は人類と呼ばれるものだ。sameを意味する接頭辞のhomo-と、humanを意味する名詞のhomoの関係については不明だが、人間は自分自身と同じ存在を人間とみなすということは言えるかもしれない。
類人誌はどのくらいの趣味嗜好の幅をもてるだろうか。あるいはそれはいつまで同人誌にならずにいられるだろうか。
ὁμόςとὅμοιος。ホメオスタシスは、homeoであって、homoではない(対義語はヘテレオスタシス?)。如何にしてhomoに回収されずに、homeoに留まるか。
より多くのものを同じとみなそうとする抽象化への傾向が、常に存在する。大きい除数で割られた世界は、矮小化した分、把握しやすいのかもしれない。
人間たちは、観察する時間が短ければ短いだけ、それだけたがいに似てくるものだ――そのきわみには、瞬間的には彼らは区別がつかない。
(中略)
類似そのものが同一性にまで増大してしまうのは、彼らの情動の激しさに由来する
ポール・ヴァレリー「ムッシュー・テスト」p.142
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