人工や技術は、「思った通り」を実現することだと思うが、それだけではつまらない。
思った通りにできるのはよいとしても、思った通りのものができるのであれば、もはややる必要がない。シミュレーションで十分だ。
局所的な再現性の高さと、大域的な再現性の低さが、「思った通り」からのズレを生み、芸術となるのだろう。
大域的には複雑な抽象過程も、局所的には単純な抽象過程で近似し得る。それは、曲線に接線を引くのと同じである。よりパラメタの少ない接空間tangent spaceで対象に触れるtangereことが理解することであり、あらゆる理解は多かれ少なかれ割り算による単純化を含んでいる。認識による把握もまた同じだ。
局所での単純化を大域に拡げることによって、芸術は技術へと堕する。その一方でまた、芸術が伝わるためには、接線を引けることが、つまりは微分可能であることが必要なのだろう。芸術の微分可能性は、技術に支えられている。
思うことによって得られるものもあれば、思うことによって失われるものもある。理由付けは、やってみてわかったことから逃れることと、やらなくてもわかることに逃れることの両方に開かれている。
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