2017-10-15

遠い娯楽と近い娯楽

送信される情報量に対して、受信できる情報量が
少なくなるものは、遠い娯楽だと言える。

視覚表現も聴覚表現も、規模が大きくなるにつれて
遠さを補うようにプロジェクタやマイクなどの情報の
増幅器を挟むようになると、間に抽象機関が挟まれる
ことで、かえって遠さが強調されるように思う。
写真や映画、テレビやYouTubeのような転送器を
介したものも、その一種だろう。
増幅器の性能が上がり、いろいろな種類の情報を
減ずることなく送受信できるようになれば、VRの
ように近さは少しずつ回復されるかもしれないが、
何かしらの遠さを残したままだと不気味の谷が
現れることになる。

近代以降の巨大な集団を一体化させるにあたり、
遠い娯楽を広く共有することは効果的であり、
近い娯楽で同じ役目を代替することは難しい。
ただし、遠い娯楽による一体化が集団の巨大化に
有効というだけで、それ以外の一体化が集団を
小ぢんまりとさせるというわけではない。
鬼ごっこや「どちらにしようかな」の掛け声の
ように、大域的な基準がなく、それぞれの地域の
バリエーションが豊富だけど、多くの人が知って
いるものというのは存在する。
それはおそらく、近い娯楽として伝播したものの
特徴だろう。

遠い娯楽が優勢な時代において、近い娯楽には
何ができるだろうか。
それを考えるには、距離減衰が激しく、増幅器
によっても伝達が困難な情報をいかに上手く
活用するかが重要な気がする。

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