2017-10-22

政治的なものの概念

カール・シュミット「政治的なものの概念」を読んだ。

政治的な行動や動機の基因と考えられる、特殊政治的な
区別とは、友と敵という区別である。
カール・シュミット「政治的なものの概念」p.15
友・敵・闘争という諸概念が現実的な意味をもつのは、
それらがとくに、物理的殺りくの現実的可能性とかかわり、
そのかかわりをもち続けることによってである。
同p.26
現実の闘争においてこそ、友・敵という政治的結束の
究極的帰結が露呈する
同p.30
判断基準を共有することによって集団が形成され、集団に
よって判断基準が維持される。
道徳的基準が善悪を、美的基準が美醜を、経済的基準が
利害を区別するように、政治的基準は友敵を区別する。
友敵の基準である政治は、あらゆる抽象の基盤となる
物理的身体の存続に関わる点に特徴があり、道徳・美・
経済などの基準による対立も、悪醜害を物理的身体の毀損
によって排除しようとした途端、政治的な基準による友敵の
対立へと変化する。
ナタリー・サルトゥー=ラジュ「借りの哲学」で述べられて
いたのは、友敵の区別を含意しない《贈与》の可能性だった
と言えるかもしれない。

性善説では判断基準が不変だとみなされるのに対し、
性悪説では基準の変化可能性が考慮される。
性善説は固定化の傾向に着目し、
性悪説は発散の傾向に着目する。
An At a NOA 2017-08-16 “性善説と性悪説
判断基準が固定化した状態では「合理的」の意味が定まるが、
基準が変化する状況においては論理の飛躍が生じており、
友敵の基準の場合には、基準の変化に伴って大規模な物理的
身体の損失が発生する。
この友敵基準の飛躍的変化こそが、現実の闘争という例外状態
なのだと思う。

友敵基準の前提となる物理的身体の変化とともに、政治的な
ものの概念も変化するはずである。
ここ数年の民主主義の変化も十分大きいように感じられるが、
それには先進諸国での医療技術の発達による死生観の変化が
影響しているだろうか。
さらには、物理的身体の大部分が人工細胞に置き換わったり、
「人間」というカテゴリが変化したりすることによって、
ハードウェアが簡単には停止しなくなった時代には、「国家」
そのものがノスタルジックなものになっているだろうか。

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