2017年秋の総選挙は民主主義を破壊している。昨日は東大にてリーディングスキルテストと東ロボに関する講義。なぜ「何がリーディングスキルを決定するのか」(DNAか?成育歴か?等)に質問が集中するの?子供はどういう家に生まれてどう育つか選べない。皆が困らない程度に公教育で読めるようにする、その科学的方法を見つけることこそ重要。— norico arai (@noricoco) 2017年10月13日
「積極的棄権」の声を集め、民主主義を問い直したい。
新井紀子は「とにかく早くすっきりしたい」ことに対して、東浩紀は思考停止することに対して、そうではないのではないかと言っており、両名の提起する違和感は、根本的に同じ方向を向いているように思う。
読むとはどういうことなのか、社会とは何なのかについて、絶対的に「正しい」見方はなく、何を「正しい」とみなすかの判断基準の共有が、その都度図られるだけだ。判断基準が更新する過程をないがしろにし、判断基準を所与のものとした上で「正しい」ことを求めるだけの、「とにかく早くすっきりしたい」という思考停止。停止していないときはどのくらいあっただろうか。
そんなことまで立ち戻っていられないのかもしれないが、壊死しつつ瓦解するという動的平衡を崩し、更新しなくなった秩序として静的平衡に留まるものは、もはや生命ではない。
何をそんなに急いでいるんだろうか。
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