人間、ロボット、ウォーカロン、人工知能、トランスファ。
生命が更新される秩序であるならば、いずれもそれなりに
生命らしくある。
人間と全く同じ特性を有するセンサの塊は、たとえその
ハードウェアが炭素ベースでなかったとしても、あるいは
ハードウェア自体が存在しなかったとしても、人間である
ことは可能だろうか。
それは結局、人間というカテゴリについてどのような物語、
理由付けが共有されるかの問題だと思われる。
そのことは、クローンとウォーカロンの関係にも現れている。
その法律を決めたのは、人類の感情だ。それ以外に理由はない。秩序の更新の仕方によって人間らしさを定義できるとすれば、
森博嗣「ペガサスの解は虚栄か?」p.278
飛躍というのがマッチするように思う。
オーロラとの共著論文におけるハギリの発想、思いつき、
失われたツェリンの未来、あるいはペガサスの妄想。
飛躍の捉えられ方は様々だが、飛躍によって断絶した完全さを、
理由によって繋ぎとめることで秩序を更新していくところが、
とても人間らしいと感じる。
何故完全さを求めるのか、を考えた方が良いね
同p.62
我々が、思いつきと言っているものに最上の価値があって、人間らしさが定義できること自体、人間以外が人間らしくなれる
ただそれにすべてを委ねているのです。そういったものには、
理由がない。
同p.113
ことを意味するが、それに気付かずに理由付けによって自己防衛
しようとするのもまた、人間らしさとなる。
飛躍によって完全さを回避する一方で、理由によって完全さを
回復しようとする。
感情的な思考によって、現実を見誤ることです。自身の思考とその過程は、いずれも虚栄と呼ばれるだろうか。
現実を比較・交換します。あるいは、部分的に置換します。
同p.283
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