2016-11-22

空間

思うに、時間の問題よりも空間の問題の方がやっかいである。

空間という位相的構造は如何にして獲得され、しかもそれは
何故三次元なのか。
この問題は、人間が如何にして幾何学を獲得するかという
観点から、ポアンカレの「科学と仮説」で取り上げられていた。

ポアンカレの言う充足的視覚空間では、網膜が二次元を生み、
その間に生じるコンセンサスからもう一次元が生まれる。
そうだとすれば、一次元の入力しか得られない器官からは
コンセンサスを含めても二次元空間しか立ち上がらない。

鼓膜は面的ではあるが、多くの人間にとっては一次元の入力に
しか感じられないように思う。
それ故に、ギブソンが描いたような、円錐の問題、すなわち、
円錐底面の円周上がすべて同一の位置とみなされることで、
聴覚空間は二次元になるのだろう。
耳や鼓膜の面的な拡がりを活用して、鼓膜からの入力を二次元と
して受け取ることのできる人は、聴覚空間も三次元になるだろう。
(いわゆる「耳がよい人」に対応するだろうか)
Omnitoneのデモで、円錐の問題がはっきりするのは、イヤホンを
経由することで、鼓膜からの入力が強制的に一次元になるためだろう。

他のセンサ、特に触覚の入力はどうだろう。
面的だと思えば、触覚から三次元を立ち上げることも可能だろうか。
しかし、そもそも物理的身体が面的に感じられるということ自体、
ある空間把握能力に依拠しているのである。
ゴムの手が自分の手に感じられる実験のようなものを詳細につめて
いくと、空間の問題に迫れるだろうか。


No comments:

Post a Comment