2016-07-14

仏教

昨日のウロボロスの話を仏教的に整理してみる。
参考:Wikipediaの解脱輪廻涅槃悟りの各項

理由律に囚われた状態が煩悩であり、ウロボロスのことを
輪廻と呼ぶ。
ウロボロスを解体することが解脱であり、それは事物を如実に
観察(かんざつ)することによって達せられる。
そうして辿り着いた涅槃とは悟りの境地であり、そこには
思考も言語もない。

これは、センサへの入力情報に対し、一切の意味付けや
理由付けを行わないことに対応するだろうか。
理由付けをやめることでしか、おそらくウロボロスを解きほぐす
ことはできないということだろう。
意味付けのみであれば、あるいは残せるのかもしれない。

涅槃と、ハーモニーのスイッチが押された後の世界は
どのように違うだろうか、どのように同じだろうか。

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