2018-07-31

批判的工学主義の建築

藤村龍至「批判的工学主義の建築」を読んだ。

情報化によってもたらされた情報空間が物理空間と最も異なる点は、距離空間の設定の変更可能性だと考えられる。物理空間においては、距離関数は一意に定められるという前提が強制的に共有されることで、遭遇可能性や空間的熱狂が生じる。それに対し、情報空間においては、距離関数の設定が容易に変更できるため、「近い」ことの判断基準を状況に応じて変化させることで、図式的明瞭性や検索可能性を上げることができる一方で、その判断基準に強制力はないため、必ずしも共有されるとは限らない。情報空間と物理空間の統合とは、一意的なままにする必要がなくなった距離空間を、瓦解が生じないように変更していく過程だと言える。つまりは、「現実」の構成方法の変化ということだ。

距離空間の変化が分野や場面ごとに独立に生じるようになると、暗黙の裡に距離空間に巻き込まれることで、技術依存によってコントロールされた状態に陥る。これは人工が自然化した状態だとみることができ、工学主義的建築とは、距離空間というデータベースに高度に依存することで自然化しつつある建築のことだと考えられる。自然化が行き過ぎれば建築は壊死し、その究極には「BLAME!」の建設者がいるだろう。

このような状況において、距離空間の変化を受け入れつつ、制御しながら再構成していくのが批判的工学主義の建築であり、その方法として「超線形設計プロセス」が提案される。線形の積み重ねによって非線形になっていく超線形のプロセスは、近代以降の科学が、非線形を線形化する過程を「理解」と名付けたのとちょうど向きが逆転しており、「納得」の仕方を形式化したものだとみなせる。いずれも理由の連鎖によって判断を滑らかに接続する過程であり、理由を必要とする存在=意識のための手法だと思われる。意識=心理的身体であると同時に物理的身体でもある人間にとって、物理空間はハードウェアであり、そこでのコミュニケーションは強烈かつ高速であるから、距離空間の再構成に関するコンセンサスをとるためのコミュニケーションに模型という物理的存在を介しているのは巧みだと思う。

様々な集合知による雑多な変化に曝された距離空間を、物理空間にも頼りつつ、制御して再構成することで、壊死にも瓦解にも至らない「モア・イズ・モア」の多様性を維持することはできるだろうか。

No comments:

Post a Comment