ミシェル・フーコー「言説の領界」を読んだ。
冒頭で表明される不安は、飛躍がもたらす瓦解に対するそれである。
不安を解消するには拠り所が必要であるが、拠り所があまりにも確固としたものであれば飛躍することが叶わず、その先には壊死という別の死が待っている。この拠り所へのアンビヴァレンスを述べたのが「逆転」の原則であり、意味を生み出す拠り所となるポジティヴな面と、特定の「真なるもの」にむけての排除、制限、占有を生むネガティヴな面を併せもつ「権力」の問題へとつながる。権力は、抽象過程における判断基準や除算モデルにおける商と同じように、同一性の基準を与えるものである。
長い間充足理由律に縛られ続けてきたことで、「人間学的思考」という一真教へと壊死しつつある秩序から解放し、拠り所をもちながらも、時折飛躍できるような、壊死と瓦解の狭間で更新される秩序へ。そのような「生きた」言説を、「生きた」ままに捉えようとするのが系譜学なのではないかと思う。
系譜学もまた一つの飛躍であり、この講義自体が系譜学の対象となるような言説だったからこそ、フーコーは不安を吐露したのだろう。
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