芸術は、判断基準の変化をもたらすことで、技術から峻別される。
それはつまり、新しい世界の見方の中に、新しい世界の割り方の中に、芸術らしさが見出されるということだ。
何を芸術と感じるかは、現状の世界の見方がどのようなものであるかに影響を受ける。芸術であるとみなされたものも、それが普及してしまえば、技術となるだろう。技術であるとみなされたものも、別の場所、別の時代、別の集団にとって判断基準の変化をもたらすものであれば、芸術となるだろう。
伝えるためには技術的である必要がある一方で、芸術的であることによって伝わることもある。
通信可能性と応答可能性の狭間で揺れるコミュニケーションの中に芸術性が見出せるのであれば、コミュニケーションの内部の存在、あるいは芸術性を見出した外部の存在の各々が、何を同じとみなし、何を違うとみなしているかについて考えるのがよいように思う。
No comments:
Post a Comment