2018-03-08

匂いのエロティシズム

鈴木隆「匂いのエロティシズム」を読んだ。

現代において、身体のセンサのうち、意識的な判断に与える影響が圧倒的に大きいのは視覚と聴覚であるが、この状態はどのくらい続いてきたのだろうか。

触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚は、概ねこの順に、時間や空間の距離による情報の減衰が小さくなり、前者ほど近接型、後者ほど遠隔型だと言える。遠隔型に注力したことは、センサから入力される大量の情報の一部だけを使うことによる判断の効率化とみなすこともでき、言語や道具の使用、あるいは理由付けと同じように、「単純化」という意識の条件の一つになり得る。

嗅覚も、ある程度の距離減衰には耐えられるが、視覚や聴覚には敵わず、嗅覚が鈍くなる中で、エロスやフェティッシュというフェロモンの代替物が生まれ、交尾はセックスへと変貌した。

単純化の過程で捨象された情報はノイズとなり、意識的な判断に上ることはない。それでもまだ、無意識的な判断には寄与しているかもしれないが、それに何かを期待するのも、意識的な判断に過ぎない。

単純化、抽象化、人間化、意識化、文明化。何と呼んでもよいが、そのような変化は未だに続いている最中であり、わずかに残っている嗅覚をも捨て去って、人類は視聴覚空間へと邁進しながら、性行動なしに繁殖する方法を編み出すことになる可能性もゼロではない。

抽象化の果ての時代において思い出に耽るとき、目はあの日を見ているだろうか。耳はあの日を聞いているだろうか。口は、鼻は、手は。

ことがらがことばに成り果ててしまう前に、いつかノイズになるかもしれない情報にまみれたコミュニケーションに耽るのもまた、一興である。
色即是臭、臭即是色、すなわち、エロスは匂いであり、匂いはエロスである
鈴木隆「匂いのエロティシズム」p.199

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