2018-04-04

情報共有

特定の情報は特定の人間だけが取り扱い、その情報を基に下した判断のみを、それ以外の人間と共有する。コミュニケーションの範囲が特定の人間に限られることで、特有の言語や常識の形成を通して、判断基準についてのコンセンサスを迅速に成立させることが可能になる。この抽象的な情報共有の仕組みによって、判断という抽象過程を効率的に洗練することができる。

近代は、この仕組みを専門分化と名付け、大いに利用してきた。近代的な一真教の教徒にとって、効率や洗練といった言葉が示す方向は一意的に決まるため、抽象的な情報共有は近代ととても相性がよい。

最近では特定の言語や常識をもつことが必ずしもよしとされず、情報公開が進められているが、情報公開というのは、情報共有の抽象度を下げることである。これまで具体的な情報を取り扱ってきた人間以外の人間とは、言語や常識を共有していないため、その情報をどのように抽象するかについてコンセンサスを取るためにはコストがかかり、それは効率の低下とみなされる。

コミュニケーションのコストが変わらないとすれば、判断基準のコンセンサスに関する効率の高さとは、つまりコミュニケーション主体の多様性の低さであり、具体的な情報にアクセスする主体の多様性を取るか、効率を取るかというのは、どちらがよいかという問題ではなく、どちらをよしとするかの問題であると思う。

巨人の肩の上に全員は立つことができない状況で全員がかなたの景色を見渡すには、どんな方法があるだろうか。あるいは、より上に、よりかなたに、という方向が一意的に決まるはずだという発想が、そもそも近代的なのかもしれない。

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