2017-03-07

シャッター街とショウルーム

人よりもモノが移動する社会において、運送というインフラの変革と同様に必要なのが、小売店の変革になる。

物々交換というのは本来、実物同士を同じ場所、同じ時間に集合させ、同じ価値に位置付けることで成立する。そこでは、実物性の確認と等価性の確認を一度に行うことが可能であったが、そこに価値判断における中間項として貨幣を挿入することで、場所も時間もずらせるようになると、徐々に事情が変わっていく。

小売店は、クライアントサーバモデルでの物々交換において、移動するモノや情報の中継点として機能してきたが、人の移動量を減らすことの代償として、確認の回数を増やすことになった。また、郵便、電信やネットワーク等の通信の発達とともに、確認は同時に行う必要もなくなり、両者は完全に切り離せる状態にある。

この二つの確認を比べたとき、等価性確認の発達に対して、実物性確認の仕組みは驚くほど貧弱なままだと言える。ネットワーク上に構築された抽象化された小売店は、不動産という足枷をもたない代わりに、実物性確認において圧倒的不利な状況にあり、実物性確認は実店舗を有する小売店の唯一の利点になっている。

今やシャッター街になってしまったかつての実店舗をもった小売店を、実物性確認に特化した場所とすることで、等価性確認に特化したネットワーク上の小売店と共存させることは可能だろうか。それはもはや小売店とは呼べないかもしれないし、かつてそれを運営していた当人たちは「上がりを決め込んだ大人」になっているという話も聞くので、メーカがショウルームに近いものとして運用することになるだろう。

既存のショウルームの多くが東京や大阪といった大都市に集中しており、人の移動を前提としているのに対し、シャッター街を利用したマイクロショウルームは圧倒的にローカルな範囲での移動を前提としている。これらは等価性確認に特化したネットワーク上の店舗での購買にも影響を与えるので、メーカがコストをかける利点はあるように思われる。

また、モノの移動量の拡大に伴う商品配送の問題は、最後までモノだけを移動させようとするから必要以上に生じる。こうしたマイクロショウルームをコンビニ受け取りのように利用し、ローカルには人を移動させるのがよいと思う。

商店街にはかつて、人の大きな移動を伴わない実物性確認と等価性確認が存在していた。それが、ショッピングモールのように人の移動量を大きくするか、ネットワークのように実物性確認を犠牲にすることで変化してきたが、そうではない方向も十分にあり得るのではないかと思う。

p.s.
貨幣にはある種の「固さ」のようなものが必要とされる。かつては金の酸化に対する強さだったのが、国家の揺るぎなさや個人の信用、果ては暗号解読の困難さにまで変遷してきた。等価性確認も、こちらはこちらで大変興味深い問題である。

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