岩波文庫版で、「思索」と「読書について」しか読んでいないが、とても身につまされる内容に溢れている。
読書によって、他人の立てた問やその応じ方に触れるのもとても楽しいのだが、やはり自分だったらどう応えるかや、そもそも何を問えるのかに思いを巡らす方が好きだ。思索というのは好奇心を原動力にすると言えると思うが、
好奇心と時間とお金は、長期的にみればこの順に枯渇するだろうし、この順に自分以外の力で補填することが難しいと思われるというのは確かだ。
An At a NOA 2017-01-31 “好奇心”
ショーペンハウアーも言うように、自分自身で構築した考えというのは、何ものにも代えがたい手応えをもっている。その手応えは、お金や時間があるだけでは手に入らず、かなりの部分で各々自身に拠っている一方で、読書や会話、観察や経験といった入力される外部情報にも同じくらい依存していると思う。
入力も出力も、物理的身体に拘束された心理的身体にはじれったいほどに時間がかかる。しかし、その時間という制約の代償として手に入れた知恵によって、せめて可能な限り長く、好奇心を生きながらえさせたいものだ。
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