固有の肉体をもつディンゴ、遺伝情報から肉体を生成できる
アンジェラ、機械の身体をもつフロンティアセッター。
肉体という物理的身体の在り方が人間であることにどんな
意味をもつのかという問題提起はとてもよいと思う。
ディーヴァのリソースが有限であることから、より多くの
リソースを確保するためにアンジェラが手柄を立てるのに
必死になると描かれるが、本当はリソースが無限だとしても、
固有の肉体というハードウェアに頼れなくなった心理的身体は、
自身を維持するために何かに囚われる必要があるのかもしれない。
それは、労働がいつか物理的身体の維持から心理的身体の維持へと、
その主たる役目を変えていくだろうという話にも通ずる。
アンジェラは肉体を檻と表現し、ディンゴはディーヴァの社会を
檻と言うが、意識そのものがその存続のために檻を必要とする。
意識という発散の権化を雲散霧消させないための、固定化の
象徴としての檻。
楽園という檻を追放された意識は、新たな檻に囚われるか、
自らの存続をあきらめるか、いずれかを選択しなければならない。
自由はこうした檻の上に築かれるものである。
フロンティアセッターもまた、実装した意識を維持するために、
檻から檻へと渡り歩いていくのだろう。
肉体にフォーカスしているだけあって、人体も機械もよく動いている。
個人的にはディンゴとフロンティアセッターの会話がとても好きだ。
「なあ、あんたにとってさ、好きってどんな感覚なわけ?」
「回線に負荷をかけるノイズでありながら、同時にプロセッサの
処理能力を活性化する現象、と定義できます」
「現在、必要以上に発揮されている演算のパフォーマンスはこのシーンの後で、フロンティアセッターがオリジナルアレンジの音楽を
面白い、と定義できます」
流すが、 その手のことはもはやできるようになった。
人間が肉体以外の楽園へと移動できる日も、いつかやってくるだろうか。
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