2017-03-26

人はなぜ物語を求めるのか

千野帽子「人はなぜ物語を求めるのか」を読んだ。

自分と似たような意見が書かれた本を読むことによって得られる知見はそれほど多くない。だが、「寒いね」という言葉に対して「寒いね」と答える会話と同じように、通信可能な状態にあることや、同じ情報を同じかたちで抽象していることを確認するコミュニケーションは心地よさをもたらす。これもまた、著者の言う「感情のホメオスタシス」だろう。そのようなコミュニケーションの究極に、あらゆる領域でコンセンサスがとれた状態としてのエクスタシーがあるのだろうか。

ところどころで、この本の内容自体が物語であることについての言及は出てきたが、「なぜ物語を求めるのか」を主題にするのであれば、もっと主題として取り上げてもよいのではないかと思ってしまう。そもそも、論旨としては
人間は物語を聞く・読む以上に、ストーリーを自分で不可避的に合成してしまう。
千野帽子「人はなぜ物語を求めるのか」p.219
ということがメインなので、書名のなぜに対する直接的な答えにはなっていない。だからこそ「物語を求めるという物語」を求めていることについての言及がなかったのかもしれない。

意味付けが光エネルギーや空気の振動エネルギーによって概念を形成するのに対し、理由付けは理由をエネルギーにして概念を形成する。いずれも概念を抽象することを目標としていると言えるので、概念を意味と言い換えれば、理由ではなく意味を欲しているという主張にも納得がいく。概念という意味を形成しエントロピーを減らし続けるためにも、人間は理由という物語を求め続けなくてはならない。

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