事実の集積が科学でないことは、石の集積が家でないのと同様である。と言ったが、ランダムに集積された石の中に家として機能するものが存在し得るように、事実の単なる集積がたまたま判断基準として利用できることはあり得る。
ポアンカレ「科学と仮説」p.171
集積したビッグデータを用いて理由抜きに行われる深層学習は、まさにこの種の判断基準を構築していると言える。
その判断基準は科学とは呼べないであろうが、科学とは別の判断基準として受け入れられていく可能性は大いにあり、深層学習によるパラダイムシフトが今まさに起きようとしているのかもしれない。それはあたかも、長きに渡り優勢だった精神から身体への揺り戻しのようである。
ホワイトヘッドが危惧したように、科学が哲学的でなくなり、仮説の雑多な寄せ集めに堕すのであれば、パラダイムシフトも滑らかになされるであろう。
深層学習の成果を科学の文脈で扱うのか、あるいは新しいパラダイムにおいて扱うのか。それを決めるのは科学者や哲学者だけでなく、人間がどのように受け入れるかにかかっている。
その行く末は意識の在り方も変えていくはずだ。
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