2018-09-18

[世界を変えた書物]展

[世界を変えた書物]展に行ってきた。

展示された書物はあまりの貴重さに触れられず、見られるのも展示用に開かれた見開きだけ。著者名と年代、内容に関する短い説明だけが書かれたキャプションが付される。書物同士は系統樹思考によって大いなる連鎖へとつなぎ合わされ、全体が一つの物語として
提示される。

これは考古学の展示だ。
エジプトやマヤといった地理的な場所ではなく、「紙の書物」という一つの「場所」において、この560年あまりの間に堆積した情報に関する「遺跡」発掘調査の結果を基にした考古学、言わば考近代学の展示である。

その「遺跡」は、活版印刷術が複製可能性を高めたことによって現れ、現在に至るまで、発掘されると同時に堆積してきている。堆積が続いている間は、これが考古学であることはあまり認識されず、本当に考古学らしくなるとすれば、紙の書物が廃れた、もっと後の時代のことだろう。

こうした物理的な展示品や展示空間を用いた考古学的展示が可能なのは、複製可能性が高まったとは言え、紙やインクといった複製されない情報があることで、原著の初版本が「オリジナル」の資格を有するという認識が共有されるからである。完全な複製が可能であるという共通認識がもたれた情報に対してこの種の展示を行うことには、どうしてもある種の滑稽さがつきまとうように思われる。

そういえば笑い男も、出版物の保存という「索然とした仕事」を行っていた。オリジナルの不在がオリジナルなきコピーをつくり出すという文脈において、紙の書物に拘ることは、どういう意味をもつだろうか。

コピーに優るオリジナルなるものが存在するという発想自体が、そもそもとてつもなく近代的なものだったのかもしれない。



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