2018-09-21

異端の時代

森本あんり「異端の時代」を読んだ。

正統と異端というものもまた生命的であり、それらが対象として抽象されるためには、固定化=形成と発散=批判のバランスが取れた情報の流れが必要となる。

その流れは「信仰」と呼ぶべきものであり、流れの中に秩序が見出されては正統、異端、正典、教義、などと名付けられ、流れの変化とともにそれらの秩序は更新されてきた。

流れが完全によどんでしまえば、正統は自己隠蔽したまま絶対化されてしまい、流れが完全に枯れてしまえば、正統も異端もなくなる。

従来の宗教が陥ったのは、一つの固定化=形成への収束による信仰の壊死であったが、ポピュリズムがもたらすのは、発散=批判への傾倒による信仰の瓦解であり、両者は信仰の死という点では同じことである。

自由とは、秩序が更新される様のことを言うのであり、秩序が解消されたまま形成されないことを言うのではないことを思えば、ポピュリズムは中世の宗教並みには非-自由だと言えるだろう。

ポピュリズムを現代の宗教と言うこともできるかもしれないが、瓦解の傾向をもつポピュリズムは、もはや宗教の体をなしているとは言い難いように思われる。

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