2018-09-25

はざまの哲学

野家啓一「はざまの哲学」を読んだ。

あまりに複雑な過程を捉えようと、ある基準の下に過程の情報量を圧縮したものが実在であるという意味で、ホワイトヘッドの言うように、実在とは過程なのだと思う。

一定の傾向をもつ情報の作用によって基準が偏ってくると、いつしかそれは文化、慣習、常識、癖、などの信念・技能体系となり、変化に対する慣性を有するようになる。

特定の信念・技能体系への固定化に陥らないためには、フッサールの言う還元が要るのだろうし、いかなる偏りも有しない圧縮という無意味な状況への発散を免れるには、メルロ=ポンティの言うように、完全な還元は不可能なのだろう。固定化と発散、壊死と瓦解の間において、過程の圧縮の仕方=パースペクティヴの変化が続く様を、生成と呼ぶのである。

一つのパースペクティヴから、別のパースペクティヴへ。その「理解」と呼ばれる還元のさなかに現れる「はざま」という危機の領域に身を挺することなしに、情報内存在は生きていられない。

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