ゲンロンβ32-33「反復性と追体験」を読んだ。
何かを反復するというのは、個別的なものから一般的なものへの抽象化である。
一回一回違っているものを同じだとみなすという対称性を導入し、データの自由度を減少させているという点で、ヘーゲルの「次元の縮減」にもつながるように思う。
十分に反復されたものはハードウェアのように固定化し、もはや反復が意識されることはなく、同じであることは自明視される。
ゲームとは、既存のハードウェアとは異なる判断基準に基づく反復を実現する試みである。その反復が共有されずに途切れてしまうか、それが新たなハードウェアとなり反復が意識されなくなるまでの束の間に訪れる、同じ抽象化をしているという追体験の感覚が、
快楽なのではないだろうか。
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