2019-04-08

一般意志2.0

東浩紀「一般意志2.0」を読んだ。

人間の生は物理的身体によって制約されている。ある波長の電磁波しか見えず、ある周波数の空気の振動しか聞こえない。もう少し高次の感覚野で言えば、関係ないものまで人間の顔として認識してしまうシミュラクラ現象や、「日本人にだけ読めないフォント」も、そのような制約の一種だと言える。

このように意識されているもの以外にも、人間の行動は様々に制約されており、人間の行動を集積したビッグデータには、人間が想像する以上に構造が埋め込まれている。ルソーの一般意志は、その構造のことを概念化したものだろう。

人間の生の無意識的な構造である一般意志が、コミュニケーションなしに自動的に抉り出されるようになったとき、それだけで行動が決まってしまうとするのであれば、意識は不要である。理性による意識的な判断を併用するのは、端的に言えば、理由を必要とする意識自身のためだ。意識的な理性に頼りがちな現状の民主主義は袋小路に入っている一方で、無意識的な本能に頼り過ぎた民主主義はいつか「生府」を生み出し、不健康・不幸福になる権利を要求するミァハの手によって、壊死と瓦解の二択を迫られることになるだろう。民主主義2.0は、無意識と意識を併用することで、そのいずれでもない民主主義を目指すものだ。

そう言えば、Wシリーズで描かれた真賀田四季の共通思考は、一般意志と同じ概念だろうか。200年以上にわたり世界の在り方に影響を与える存在として、ルソーと真賀田四季の思想を比較するというのも面白いかもしれない。

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