1作目 彼女は一人で歩くのか?
2作目 魔法の色を知っているか?
3作目 風は青海を渡るのか?
4作目 デボラ、眠っているのか?
5作目 私たちは生きているのか?
「先生とお話ししていると、面白いです」オーロラは言った。Wシリーズの面白さは、そのような面白さだ。
「それはですね、私が面白くしようと思っていないから
なんですよ」
「はい、私の結論も同じです」
森博嗣「青白く輝く月を見たか?」p.274
ハギリからの手紙を受け取るオーロラのように、
森博嗣の小説を読むことで、投機的短絡としての
意識や、意識をもつことが異常になった世界、
といったことについて考えることが、ただ面白い。
まさにそれ自体が、理由付けという抽象過程であり、
意識と呼ばれるべきものである。
頭脳回路の局所欠損によるニューラルネットの回避応答が、回路に生じたちょっとしたエラーによって、抽象過程
偶発的な思考トリップを起動する。
同p.267
における排中律や無矛盾律が成立しなくなる。
それが投機的に短絡を起こしているように見えて、
埋め合わせをするかのように、理由があてがわれる。
それが、
なんと、ぼんやりとした思考、行き当たりばったりのと形容される、ある種の人間らしさにつながる。
行動だろう。
同p.241
この矛盾をはらんだ意識という判断機構が、いつか
病気として認識されるかもしれないということを、
伊藤計劃「ハーモニー」を読んで考えたが、
Wシリーズにもこの問いは含まれている。
この種の純粋な人工生物たちにとって、人間は投機的短絡はつなぎ替え可能であるところに利点が
いわば病原菌のようなものかもしれない。
同p.181
あるのに、一時的な短絡を言葉として固定してしまう
ことで、矛盾をもたらす病原菌に見えてしまう。
そうそう、君たちが学ぶのは、言葉になったデータなんだ。というハギリの指摘を、どのようにクリアしていくかが、
そこが、ラーニングの最も大きな落とし穴といえる。
同p.248
ウォーカロンやトランスファを人間に近づける上で最も
難しいところだろう。
言葉を経由しないラーニングを、ハギリは恋と呼んだが、
それは「而今の山水」という悟りの境地に似ているように
思われる。
意識というソフトウェア的なエラー導入機構と、
生殖や発生というハードウェア的なエラー導入機構の
両方を備えていた人間は、マガタ博士によって後者を
剥奪され、前者の占有権を失いつつある。
マガタ博士が構築を目指す共通思考は、知恵の樹の実と
生命の樹の実を等しく蒔いた世界だろうか。
「なるほどね」僕は頷いた。「わからないでもない」
「わからないでもない、という判断がかなり高度な
認識処理です」
同p.103
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