2017-06-19

人間の経済

宇沢弘文「人間の経済」を読んだ。

とても思想に富んだ経済論だというのが率直な感想だ。
最近は分野に限らず思想を前面に出さないことが多い
ように思う。
こうあるべき、ということを主張しづらいというよりは、
こうではない正義があり得ることを想定しない正義が
受け入れられづらくなってきているということか。

近代において確立された個人という単位は、心身二元論
からの帰結として、物理的身体に制限されない人間像を
想定可能にした。
プロパティの集合として定義された人間によって駆動
されたシミュレーションをなぞるとき、プロパティの
集合として振る舞うことが不可避的に要求される。
宇沢ははっきりとこのことを拒否し、物理的身体に
一致した心理的身体の区分としての人間を重視する。
人間を人間たらしめるハードウェアとして物理的身体
にこだわり、そこは変わらないものとして維持すべし
というのが、宇沢の思想のハードウェアとなっている
ということだと思う。

基盤としてのハードウェアは、固定化への収束という
危険性をはらむが、それなしで発散することは空中分解
につながるため、ハードウェアのない存在はそうそう
長く維持しないと考えられる。
人間として、あるいは思想として、どこにどのような
ハードウェアを想定するか。
それはすなわち、道徳を設定するということだと思う。
そう考えると、道徳というのは、抽象過程の破綻を避ける
ための、発散する特性を制御する枠組みだと言える。
An At a NOA 2017-06-10 “技術の道徳化
道徳は、技術とともに常に変化する可変性の殻である。
思想を前面に出さない議論が増えたように感じるのは、
技術による変化が急激になっているからだろうか。
急激に変わりゆく道徳の内容に気を付けていないと、
ユートピア=ディストピアに陥るのは簡単である。

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