2016-12-12

自由意思

自由意思の自由度は、理由付けの投機度から生まれる
以外にないと思われる。
リベットの実験で実証されたように、理由付けが事象の
後に起こっていようが、どのような理由でその事象を
解釈するかの選択ができることに、当該意識の自由さが
現れている。

意識は投機的短絡に基づく理由付けによって実装されて
いるから、そもそも定義的に自由なのである。
そして、理由付けによる理由の連鎖の果てに獲得される
主観性は、あらゆる判断の原因として、暫定的に仕立て
上げられるという点でも、責任の担い手として、自由で
あることが要求されるのだ。
責任を問いたいがために自由が想定される。
An At a NOA 2016-09-05 “表現の自由” 

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