2016-01-30

移動

空飛ぶ自動車なんていうものがSFにはよく出てくるが、現実にはそれが普及する未来は来ないだろう。もちろん、技術的には小型の浮遊体は実現可能だろうし、実際にそういった製品が発売される可能性はあるだろうが、自動車のようなかたちで普及する前に人間が移動する機会が減っていく。

30年前に比べると仕事のあり方の多様性はかなり広がっただろう。もちろん職種によるところが大きいが、自宅作業が可能な職種も多いし、Skype等を利用することで、わざわざ出張せずとも、電話や手紙よりも情報量の多い通信が可能になった。この後30年間で、情報の方を移動させることで人間を移動させずに済ませるという傾向はさらに進むだろう。これはコストの問題だ。人間と人間が直接合わないと通信できないという時代は、言語を発明した時点から終わり始め、近年の益々広がる遠距離通信による伝達可能情報量によりそれは加速されている。合理化を図ろうと思うと、輸送業等の移動自体が仕事である業種を除き、仕事に伴う移動は減らすべきである。社内ではそれを推し進めることは簡単だろうが、社外に対しては相互理解が一つの壁になるだろう。お互い移動にはコストが伴うことを承知の上で、まさにそのために直接伺うことが誠意の表明になるという悪しき風習を断ち切るのにどれだけの時間がかかるかだ。

日常での移動はどうなるだろうか。保育園の送り迎え、通学等の教育に関係する部分については、仕事との関連も大きい。現状のように、仕事自体が一箇所に人を集めて管理することで成り立っている場合には、教育もまた一箇所に人を集めて行うことになるはずだ。
仕事の方が変わってくると、教育も学校のような施設ではなく、家庭等のより小さい単位での実施にシフトしてくるだろう。これも技術的には現在でもできるわけだから、社会システムの方が変わるかどうかにかかっている。買い物については価格と速度を考えればネット通販が普及する。Amazon Nowの仕組みは要はおつかいである。ネット通販は長らく、ほとんど何でも注文できるが時間はかかるという世界だったものが、日用品等は1時間あまりで届くということになってしまうと、小売店には勝ち目がない。店頭販売にはどうしても接客が発生するし、商品の陳列効率も倉庫に比べると圧倒的に劣る。接客と陳列にかけるコストを配送に振り分ければ、日本の大部分をカバーする販売網が形成できるのではないだろうか。

自動運転技術が確立された後では、都市圏の車両と夜間に走行する車両は自動運転に限るという運用がされるかもしれない。すべてが自動運転車になれば、自動車同士の事故は非常にまれになるだろう。また、交通状況もかなり正確に予測されるため、日本の鉄道並に自動車移動が時間に正確になる。最近でも痛ましい事故があったが、夜間走行車両こそ自動化の恩恵が得られる最大の領域だ。それが常識になった後では、かつて人がハンドルをにぎっていたなんていう恐ろしい時代があったんだと思い起こされるだろう。

さて、どんなに移動のコストが意識される時代になっても減らないと思われるのが余暇のための移動だ。これはまさに移動のための移動だからである。環境を変えたいという欲求のある程度は環境制御技術の発達で解消されるかもしれないが、何かを見たいというような、直接性を得るための移動は何をもっても代えがたい。

結局は仕事の場合もそうだが、この直接性の神話への信仰と移動のコストを天秤にかけることで移動の要否が決まってくる。現状、GoogleやAmazonを始めとした情報分野の大企業が、VRやAR、AI等の開発で直接性の神話を切り崩すとともに、人間が移動しないことによるコストを切り下げている。30年後も、東京で大雪が降ったり大地震が起きると、駅が人で溢れかえる様子が見られるだろうか。

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