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「第一の基礎力」として、「自ら原理に立ち戻って考える力」を
挙げ、「真の知識は人が自ら経験し思考することによって生み
出されるもの」と言っているのはもっともだと思うが、
後半で「新聞を読みますか?」と問いかけ、インターネットや
ニュースだけでなく新聞をよく読もうと言っているあたりは
うーんという感じだ。
メディア全般について、どれが優れていてどれが劣っているというのは
今の世の中では大差がないと思う。twitterにはtwitterなりの情報が
流れているし、新聞には新聞なりの情報が書かれている、というだけだ。
単一のソースを信頼するのが危険なことはわかりきっているのだから、
「自ら経験し思考すること」が大事だと言っているのではないのか。
その中で敢えて新聞を取り上げて、旧来のメディアが優れているような
言い方をするのは少し的外れな気がするし、当然このニュースを取り上げる
新聞社はここを切り取るから、より歪んだかたちで伝わることになる。
あと、「第三の基礎力」として「自ら新しい発想を生み出す力」の中で、
ロボットができるのは過去の知識をベースとした仕事です。人間には、と言っているが、これは果たして本当なのだろうか。
思いがけない発想によって無から有を生み出す能力があります。
前半は今のところ真である。でも、人間は本当に入力された情報からは
演繹できないような思考をしているのだろうか。
もしそのように思考しており、それが偶発性によるものだとするのであれば、
それは機械にも思考法として取り込むことが可能だ。
両者の違いをことさらに強調するのは人間らしいが、そんなことに拘泥している
ことで、「自ら新しい発想を生み出す力」が手に入れられるのだろうか。
総長が言うように、画一な社会をめざすべきではないのは確かだと思う。
だからこそ、上記のような常識という思考の短絡は避けるべきである。
「他人に何かを押し付けるのはよくない」や「この世に絶対の真理などない」のような
命題と同じで、それ自身をも否定することになるのでこういった主張を展開するのは
難しいが、まあ各々考えるのを楽しもうということだ。
p.s.
…なんていう記事を書いてコーヒーを飲みながらスマートフォンを
いじっていたらこんな記事を見つけた。
東大総長は新入生に「新聞を読むこと」を勧めたかったのか
こういう視点の記事も見つかるのがインターネット経由の情報収集のよいところだ。
いつだかの総長式辞で、その式辞自体の信ぴょう性も自分自身で確かめるように、
という言葉で締めくくられたものがあったと思ったが、どれだっただろうか。
→教養学部長の石井先生の式辞だった。(全文)
今読み返してもとても面白い。こういうウィットに富んだ挨拶ができるようでありたい。
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