2016-04-03

御柱祭2016

諏訪大社上社の御柱祭に参加してきた。
全力を発揮すると翌日に筋肉痛がくる程度には
まだ代謝が落ちていないようだ。

前回の2010年にも参加して、そのときは木落としを
やらせてもらったのだが、今回は本宮四ノ柱の山出し
前半部分の曳行をやらせてもらった。
4/2朝7:30曳行開始。やや雲はあるものの晴れ間が
広がり、東の空には八ヶ岳が気持よくそびえていた。

綱置場〜一番塚〜柳沢の交差点あたりまではかなり平和で、
日本酒やビールを飲みながらヨイサと声を出す。
辛かったのは土埃くらいだ。

柳沢では男綱が外になるが、その内側にいたので、
男綱が内側に入るのを阻止するために全力で押す。
今見返すと全然角度がきつくないのだが、ダメージはでかい。
そこからはカーブの連続で、男綱が外なら足で押す、
内なら全体重を載せて引く、の繰り返し。
腕よりも小綱を握る手の痛みの方が辛い。
大曲がりを曲がりきる直前でタイムアップで離脱。
土埃と汗で体中真っ黒だった。

柳沢あたりから力を使うようになってわかったが、
掛け声と音楽はあるべくして存在している。
本当に力を発揮しようと思ったら声を出さないと出きらないし、
その力を全員が合わせないと寸分動かないのだから、
タイミングとりに掛け声は最適だ。
やっとこさ動いた後であの音楽が流れるとものすごく気持ちがよい。


御柱祭は数えで7年に1回行われる。
徐々に変化はしているようだが、大枠としては1000年近く
同じままなのだろう。
山から切り出した10tもの大木を人力で神社まで運ぶなんて、
現代の常識で考えれば馬鹿みたいな行為だ。
それを、死者が出てまでも形式を保存するというところに、
ある種の人間らしさがあるのだろう。

意味など存在しなくてよいのだ。理由はいくらでも後付けできるだろうが、
純粋にその形式を引き継ぐこと自体が、一つの全体を作っている。
理屈を積み上げてできたものは、おそらく1000年も続かない。
歴史とは語られた経験であるが、伝統とは語り手が消えた歴史なのかもしれない。


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