2016-09-30

現代思想_未解決問題集

現代思想の2016年10月臨時増刊号「未解決問題集」を読んでいる。

未解決予想のうち、クレイ数学研究所のミレニアム懸賞問題は
名前くらい知っているが、関連して取り上げられるものには
名前すら知らないものも多い。
それでもどことなく、執筆した数学者達の熱意が伝わってくるので、
読んでいてわくわくするのである。
本文中で紹介されているグロタンディークの格言、
問題は究極まで一般化すれば自然に解ける
に従うように、遥か深淵を見つめつつ、できるだけ読みやすく
書かれておりとても面白い。

冒頭の対談の最後で、ここでも人工知能の話が出てくる。
ある枠組みの中で、当該命題の整合性が確実になることと、
その確実性を人間が理解できるかは全く別物だ。
例えば、望月先生による宇宙際タイヒミュラー理論は、
理解こそ難しいだろうが、理屈をつけようとしている点では
あらゆる数学と同じように人間的な理解を目指している。
常に理由律でつなぎとめることが人間の意識のあるべき姿
であり、それを諦めたときにはもはや意識を捨て去るしか
ないだろう。
理由付けをせず、意味付けだけに従う判断機構は問を立てない。
問を立てて理由律を数珠つなぎにするまでもなく、「正しい」
ことがわかるからだ。
ただし、それは常に埋め込まれた正義に従うのみだ。

「集合論(=数学)の未解決問題」の章で、集合論的多元宇宙の
話が出てくる。
集合論的多元宇宙の考え方は、無限に分岐していく「可能な
集合論(数学)」像と、数学者の(少なくとも研究を促進させる
ための作業仮説としての)ナイーヴなプラトニズムの間の
折り合いをつけることを可能にする自然な視点を提供する
(集合論的、乃至数学的)宇宙観となっていると言えよう。
渕野昌「集合論(=数学)の未解決問題」
現代思想2016年10月臨時増刊号「未解決問題集」p.125
というのは、人間の意味付けや理由付けの在り方と対応する気もする。
意味付けによる判断は、大多数の人間に共通するユニヴァースVを
形成しており、そこから理由付けによってVの拡張であるV'やV''といった
ユニヴァースがそれぞれの処理系毎につくられる。
その処理系の単位は、かつては家族や部族といったものだっただろうし、
近代はそれを物理的身体にまで分解することで、individualという最小単位を
設定し、個人個人が自らの考えをもつという見方を強烈に推し進めた。
現代では、一つの物理的身体に実装された意識の中に複数のユニヴァースが
展開されつつ、それが複数の物理的身体間で共有されることで、individualが
divideされているようでanti-dividableのようにもみえるという状況になって
いるとも理解できる。

このユニヴァースたちの総体としての多元宇宙を数学の世界として
認めることで、不完全性定理によって宿命づけられ、集合論の研究の
進展によって異る集合論の宇宙の可能性として開示されることにさえ
なった数学の未完成性、不定性、非決定性と、(少なくとも数学者が
数学を推し進める上での便宜的な場としての)数学的プラトニズムの
間の決裂をさけることができるように思われる。
同p.124
理由付けという投機的短絡によって便宜的な場をつくり出し、常に判断を下す
ことで決裂を避けているのであれば、どうあってもたった一つのユニヴァースに
留まることはできない。
おそらく、「わかる」ことを諦めることで、たった一つのユニヴァースという
絶対的安定点に達することはできるのだろうが。

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