必要十分なまでにパラメータが整理されている状態が「きれい」である。判断基準を固定することで「きれい」な状態が定まり、その判断基準に従って収束することで、だんだん「きれい」になっていく。
An At a NOA 2016-02-08 “美しい/きれい”
「清潔」や「きれい」をひたすらに目指す潔癖症は、一つの構造を抉り出す過程であり、とても近代的であるように思う。
本書に示した“曼荼羅”もまたいずれその誤りが指摘されることを私は切に期待しています。と述べるように、生物体系学の体系学もまた見る人間によって“風景”が異なり、生物体系学の体系学の体系学を描くことができるだろう。
三中信宏「系統体系学の世界」p.426
ここで「範囲攻撃」と呼ばれているのは行き過ぎた演繹のことであるように思う。それは一種のハラスメントであり、論理的には大いに誤謬を含んでいる。ここんとこ沸騰してる「オタク差別」の存在について、「差別ではない」「差別かどうかは微妙」という意見に私は反対するよ。オタクだろうが何だろうが、犯罪的とかキモいとか、実態と実績のある特定の個人に投げかけるだけなら「軽蔑」で済むものを範囲攻撃して、罪のない人を巻き込めば「差別」です。— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2018年4月23日