2016-03-16

ズンドコ

今流行りのズンドコ
なぜカウンタ方式がないんだろう。
package main

import (
    "fmt"
    "math/rand"
    "time"
)

func main() {
    zd := make([]int, 2)
    str := []string{"ズン", "ドコ"}
    rand.Seed(time.Now().UnixNano())
    for {
        ind := rand.Intn(2)
        if ind == 1 && zd[0] >= 4 {
            fmt.Println("\nドコ キ・ヨ・シ!!")
            return
        }
        if zd[1-ind] > 0 {
            fmt.Println("")
        }
        zd[1-ind] = 0
        zd[ind]++
        for i := 0; i < zd[ind]; i++ {
            fmt.Print(str[ind])
        }
        fmt.Print("\r")
        time.Sleep(time.Second)
    }
}

コミュニケーション

以前にも触れたコミュニケーションの問題。
Slackもよさそうだと思っていたが、やはり問題があるようだ。
Slack, I'm Breaking Up with You
上記の翻訳記事

これとは少し別の話であるが、Twitterは少し前に時系列順の表示をやめ、
人気に基づく順序を取り入れた。Instagramも続くようだ。
Facebookは昔からそうだ。

そもそも、通信速度が有限である段階で、完全な同時や
時系列順というのは実現不可能だ。
しかし、通信範囲が極近傍のみであった時代には、距離が短いことにより
それが近似的に実現可能であり、時間概念や因果律を確立することの基礎になった。
現代では通信速度が高速になることで距離が長い場合でも近似的に実現可能に
なってきている。

非同時なコミュニケーションや、時系列によらない情報の送受信というのは
数千年単位でかなり以前から存在するが、実現可能な速度をあえて抑えて
非同時性や時系列の入れ替えを実現するというのは、現代の技術で初めて可能になった。

目の前で話した人の言葉を、少し後で聞くということや、
水がこぼれたあとにコップが倒れるというようなことを経験することは、
現実の世界では不可能だった。
しかし、ネットワークを介した経験ではいずれもが可能になる。
おそらく、この気持ち悪さを避けたいがために、LINEの既読機能がついたり、
時系列順表示の中止への反対が起きたりするのだろう。

暗黙のうちに同時性や時系列はごまかされていく。
そんな世界でも時間概念や因果律は保存されるだろうか。

23455

体→2
海→3
近→4
話→5
草→?
ロケットニュース24の記事

体→we
海→sea
近→near
話→story
草→grass
だと思ったら全然違った(体→2が雑

2016-03-15

帰納と演繹

最終戦はAlphaGoの勝利で、結局4-1だったようだ。

真は帰納的にも演繹的にも設定される。
帰納的に設定される真は極限値として真が得られるため、
求解のときに膨大な量の情報を必要とする。
一方、演繹による真は組み立てる段階での必要な情報は少ないが、
個別事象への判断を行う際に必要な情報が多いように思われる。
おそらく前提条件への適合性をチェックする必要があるためだろう。

理由付けは演繹による真の獲得である。
人間には、多くの場面で帰納的に真を獲得している時間がない。
大多数の人間は視覚がやっとで、専門家であれば聴覚や味覚等も
相当なレベルに達しているかもしれない。

ディープラーニングはあらゆる分野において、帰納的に真を獲得しうる。
帰納的に得られた真の弱さは、ゲームが変わったときに通用しないことだ。
通用しないどころか、ゲームが変わったことにすら気付けないだろう。

現状では大量の情報を与え、処理させることによる学習が主流だが、
小規模な情報を基に、自ら公理系を構築していくような学習の仕組みが
実装できなければ、意識を再現するには至らないだろう。
まあ、それがよいことかどうかは別として。

2016-03-14

過酷

二カ国だった参加国は四カ国になりました。
過酷な戦いが予想されます。

2016-03-12

モデル化

モデル化というのは、解空間を縮小させるために、
同様の性質をもったより低次元の空間へ写像する行為である。
例えば線形代数におけるKrylov部分空間法が挙げられる。
同様さは、そのモデル化の際に何を保存したいかによって
選び方が変わってくる。

理由を付けていく行為はまさにモデル化に相当しており、
これにより自らのキャパシティや訓練データの不足を補うことができる。

あらゆる事象に対して十分な訓練データが手に入るのであれば、
理由付けというモデル化をすることなく、目で見て人の顔を認識するのと
同レベルに判断をこなせるようになる。
もし電脳化、あるいはそこまででなくても、異なる人間間での経験の共有が
大規模で高速に行えるようになったら、訓練データが爆発的に増えることで、
こういった方向に進化できる可能性はあるだろう。

現代でも、常識、宗教、世論等といったかたちで、大勢に対して共通のモデルを
提示することによる経験の共有は図られており、ある程度の成功を収めている。
こういったモデルにはまりこめば、縮小された解空間の中で解を探索するだけで済むので、
より高速に判断が下せるようになる。
しかし、高次から低次への写像の際には必ず失われる情報があるため、
低次から高次を完全に再現することは不可能な場合が多い。
これにより、異なるモデル間に超えようのない差異が生まれる可能性が
一定の割合で存在し、対立を生む結果となる。

人類全体が同一のモデル化を採用し、唯一の狭い解空間の中で生きる世界というのは
完全にディストピアである。
そこにはもはや意識が不要であり、皆が「合理的」な判断をしながら幸せに暮らせる。
これがハーモニーで描かれた、スイッチが押された後の世界だろう。

訓練データには、必ずその評価値を設定するための正義が前提される。
縮小された解空間の中からその正義を暴くための驚異の定理は存在するだろうか。

2016-03-11

論理的思考の限界

AlphaGo対Lee Se-dolの第2戦もAlphaGoの勝利だったようだ。
MIT technology reviewの記事

プロ棋士が見ても意味不明な手ばかりで、何故AlphaGoが勝てたのかわからない、という状況のようだ。残念ながら囲碁のセオリーに詳しくないのでどんなもんなのかはわからない。もはや視覚体験と同レベルの数の囲碁対局をこなさないと人間に勝ち目はないんじゃなかろうか。何故その手がよい手なのか、論理的な理由をつけている時点で勝敗は決している。

福笑いのゲームで、目と目が何センチ離れていて、そこからこの角度でこの位置に口を置くと顔に見える、みたいな解き方をして、無意識に自然な並びがわかっている相手に何故勝てないのか悩んでいるようなものだ。これが人間の顔に限定されたゲームならまだしも、馬や鶏等、他の動物も混じってきたら勝てるはずがない。

理屈なんて考えていたら追いつかない。しかし、解空間の大きさに対して訓練データが少なすぎる。

人間が機械に勝てる分野で、最後まで残るのは五感くらいだろう。