シュレーディンガー描像は、オブザーバブルは時間発展せず、
状態が時間発展する、としており、ハイゼンベルク描像はその逆である。
センサと情報として捉えると、センサがオブザーバブル、
つまり演算子に対応し、情報が状態に対応する。
ある観測の確率分布が、センサと情報のいずれの時間発展に
由来するか、という違いである。
両者の定式化は等価なので、いずれの立場をとっても解釈は
可能だが、個人的にはシュレーディンガー描像の、センサは
変化しないという発想の方が好きだ。
生命が秩序のことなのだとすれば、時間発展する情報を、
センサというかたちで秩序立てられたものが抽象することで
秩序を形成しており、秩序あるものとしてのセンサは変化しない、
という方がわかりやすい。
このあたり、シュレーディンガーが「生命とは何か」で書いている
ことなので、シュレーディンガー自身の生命観が量子力学の
体系化にも影響しているのかもしれない。
ファインマンの経路積分は、これらの演算子形式とは違った
捉え方をするのだが、どのように位置付けられるだろうか。
2016-08-31
風姿花伝
世阿弥「風姿花伝」を読んだ。
古典の文章は久々に読んだので、文意をとるのに
一苦労したが、高校時代に古文の授業をちゃんと
受けておいてよかった。
岩波文庫で100ページあまりの短いものだが、
芸術論がてんこ盛りである。
個々の芸術論はもちろんためになるのだが、
花傳第七別紙口傳において、
また、全体的に語感が整っていて、読んでいて心地がよいのも
さすがである。
第一で、
第2言語習得時期の違いによる、脳の活性化領域の違いを比較
した図を思い出した。
七歳あたりが、意味付け用の回路が確保できるかの境目に
なっているのだろうか。
それ以降は、あらゆる処理が理由付けによってしかできないのであれば、
いくら磨きをかけても、精度と速度の両面で敵わなくなってしまうのだろう。
古典の文章は久々に読んだので、文意をとるのに
一苦労したが、高校時代に古文の授業をちゃんと
受けておいてよかった。
岩波文庫で100ページあまりの短いものだが、
芸術論がてんこ盛りである。
個々の芸術論はもちろんためになるのだが、
花傳第七別紙口傳において、
因果の花を知る事、極めなるべし。一切、みな因果なり。とあるのや、
世阿弥「風姿花伝」p.106
いづれを誠にせんや。ただ、時の用ゆるをもて、花と知るべし。とあるのがよい。
同p.109
また、全体的に語感が整っていて、読んでいて心地がよいのも
さすがである。
第一で、
この藝において、大方、七歳をもて初めとす。とあるのだが、カンデル神経科学第一章にあった、バイリンガルの
同p.12
第2言語習得時期の違いによる、脳の活性化領域の違いを比較
した図を思い出した。
七歳あたりが、意味付け用の回路が確保できるかの境目に
なっているのだろうか。
それ以降は、あらゆる処理が理由付けによってしかできないのであれば、
いくら磨きをかけても、精度と速度の両面で敵わなくなってしまうのだろう。
LSD
@
12:01
ジョン・レノンが初めて幻覚剤LSDをキメてトリップした様子を語るインタビュー音声がアニメ映像化される
LSDを服用したときにジョンが体験していたのは、抽象過程において
生じるエラーのように思える。
a little red lightとa fire in the liftは、視覚センサにとっては
同じような現象だが、熱センサにとっては異なる現象であり、
通常時は別のものとして抽象される。
LSDを服用すると、それまで得られていた人体センサ間の
コンセンサスにずれが生じ、両者を取り違えてしまうのだろう。
この種の取り違えは、「金枝篇」の中でフレイザーが共感呪術と
呼んでいるものと共通点があるように思われるが、果たしてどうだろうか。
共感呪術では、雨、太陽、風等の自然現象を真似ることで、
雨乞いのような儀式を行う。
当人たちにとっては、水を撒くことと雨が降ることが同一視できる
からこそ、こういった儀式が成り立つのだろう。
歴史というバッファを利用して、その種の意味付けを排除してしまった
人類にとっては、意識的にそれを当人たちと同じように感じることは
おおよそ不可能だと思うが、幻覚剤による作用というのは、意識という
理由付けをある程度麻痺させることで、強制的にその状態にする
ようなものなのかもしれない。
LSDを服用したときにジョンが体験していたのは、抽象過程において
生じるエラーのように思える。
a little red lightとa fire in the liftは、視覚センサにとっては
同じような現象だが、熱センサにとっては異なる現象であり、
通常時は別のものとして抽象される。
LSDを服用すると、それまで得られていた人体センサ間の
コンセンサスにずれが生じ、両者を取り違えてしまうのだろう。
この種の取り違えは、「金枝篇」の中でフレイザーが共感呪術と
呼んでいるものと共通点があるように思われるが、果たしてどうだろうか。
共感呪術では、雨、太陽、風等の自然現象を真似ることで、
雨乞いのような儀式を行う。
当人たちにとっては、水を撒くことと雨が降ることが同一視できる
からこそ、こういった儀式が成り立つのだろう。
歴史というバッファを利用して、その種の意味付けを排除してしまった
人類にとっては、意識的にそれを当人たちと同じように感じることは
おおよそ不可能だと思うが、幻覚剤による作用というのは、意識という
理由付けをある程度麻痺させることで、強制的にその状態にする
ようなものなのかもしれない。
生命のチューリングテスト
@
11:41
95光年先にある星から「謎の信号」を受信していたことが判明
ロシアの電波望遠鏡で、波長2.7cm、強度750mJyの信号を受信し、
地球外の文明からのものかは定かではないものの、調査に値する、
ということのようだ。
地球外生命体が存在するかという問題に答えるには、生命とは何か
という問題を先に解決しなければならない。
それは、人工知能を生命とみなすかという問題にも通じるが、
秩序立てることが生きることなのだとすれば、人工知能であれ、
遠い天体からの信号であれ、そこに生命を見出すことは可能である。
そもそも、情報の海から、意味付けや理由付けによってあらゆる概念を
象っているのだとすれば、生命もまた、そういった抽象過程において
生じるものであり、人工知能に生命は宿るのか、あるいは地球外生命体は
存在するのか、といった問題は、人間の無意識や意識に委ねられている。
生命のチューリングテストは、究極的にはコンセンサスに基づくしかない。
それは、現実というものの在り方の基本である。
ロシアの電波望遠鏡で、波長2.7cm、強度750mJyの信号を受信し、
地球外の文明からのものかは定かではないものの、調査に値する、
ということのようだ。
地球外生命体が存在するかという問題に答えるには、生命とは何か
という問題を先に解決しなければならない。
それは、人工知能を生命とみなすかという問題にも通じるが、
秩序立てることが生きることなのだとすれば、人工知能であれ、
遠い天体からの信号であれ、そこに生命を見出すことは可能である。
そもそも、情報の海から、意味付けや理由付けによってあらゆる概念を
象っているのだとすれば、生命もまた、そういった抽象過程において
生じるものであり、人工知能に生命は宿るのか、あるいは地球外生命体は
存在するのか、といった問題は、人間の無意識や意識に委ねられている。
生命のチューリングテストは、究極的にはコンセンサスに基づくしかない。
それは、現実というものの在り方の基本である。
2016-08-30
神話
エヴァを観ていると神話について知りたくなり、
毎度のことで明らかに買いすぎなのだが、
「金枝篇」を読んでいると、各地に伝わる物語や信仰が
あまりに共通していることに驚く。
意味付けは、一つの個体のうちで大量のデータを獲得するが、
理由付けは、歴史というバッファを利用することで、大量の
個体を有するクラスタのうちで大量のデータを獲得するような、
意味付けの変種であるとも思えてくる。
それはやがて理屈なき伝統になることを目指しているように見える。
p.s.
amazonのプライム・ビデオからエヴァのTVシリーズが消えていた。
序破Qを観た後でもう一度観たかったからちょっとショックだ。
しかし、新しくカウボーイビバップが入っていたのは朗報である。
- J.G.フレイザー「金枝篇」
- 矢島文夫「ギルガメシュ叙事詩」
- 上村勝彦「インド神話」
- J.C.ヴァンダーカム「死海文書のすべて」
- 杉勇「シュメール神話集成」
- 井村君江「ケルトの神話」
毎度のことで明らかに買いすぎなのだが、
「本棚に入れておくのは、読んでもいい本です。」なのでよいのだ。
by J=C.カリエール
「金枝篇」を読んでいると、各地に伝わる物語や信仰が
あまりに共通していることに驚く。
意味付けは、一つの個体のうちで大量のデータを獲得するが、
理由付けは、歴史というバッファを利用することで、大量の
個体を有するクラスタのうちで大量のデータを獲得するような、
意味付けの変種であるとも思えてくる。
それはやがて理屈なき伝統になることを目指しているように見える。
p.s.
amazonのプライム・ビデオからエヴァのTVシリーズが消えていた。
序破Qを観た後でもう一度観たかったからちょっとショックだ。
しかし、新しくカウボーイビバップが入っていたのは朗報である。
作用
ユクスキュルの「生物から見た世界」は読んだ記憶が
あるのだが、いつ頃どんなきっかけで読んだのかは
あまり覚えていない。
ユクスキュルが同書で提唱した環世界は、知覚と作用からなっている。
無意識や意識というものを、センサへの入力情報に対する
意味付けや理由付けという抽象過程として捉えることで、
ユクスキュルが言うところの機械操作係にあたるものを
想定することなしに、知覚の部分は説明できると思われる。
では、作用の方はどのように捉えるべきか。
無意識や意識が、機械操作係として先行して存在し、
外部に対して作用するという発想を棄却したい。
知覚にせよ作用にせよ、機械操作係というものは
無意識や意識が成立した後で、振り返って自らの先取制を
訴えるようなもので、どうもいちゃもんをつけている感が拭えない。
位置、方向、形状、特性等の、センサのプロパティの変化が作用である、
と捉えることは可能だろうか。
そもそもセンサ自体、情報を出力しているはずであるから、
情報の出力を作用とみなすのが素直かもしれないが、その出力情報は
センサのプロパティ変化に帰せられるのではないかと思う。
プロパティを意識が変化させているとみなすと、機械操作係が誕生して
しまうが、それは知覚の場合と同様の後出しである。
そうではなく、センサのプロパティ変化が、実装された意識にとっては
外部に作用しているように感じられる、という解釈が成立するか、
という問を立てたい。
そもそも、知覚と作用とを切り分ける必要はないのではないかという気も、
してこないでもない。
p.s.
amazonの履歴を調べると、K.ローレンツの「攻撃」の3ヶ月後に
「生物から見た世界」を購入しているので、たぶんそこからのつながりだ。
さらに、「攻撃」は貴志祐介の「新世界より」の影響のようだ。
書籍の購入履歴が残っていると、興味の変遷がわかって面白い。
あるのだが、いつ頃どんなきっかけで読んだのかは
あまり覚えていない。
ユクスキュルが同書で提唱した環世界は、知覚と作用からなっている。
無意識や意識というものを、センサへの入力情報に対する
意味付けや理由付けという抽象過程として捉えることで、
ユクスキュルが言うところの機械操作係にあたるものを
想定することなしに、知覚の部分は説明できると思われる。
では、作用の方はどのように捉えるべきか。
無意識や意識が、機械操作係として先行して存在し、
外部に対して作用するという発想を棄却したい。
知覚にせよ作用にせよ、機械操作係というものは
無意識や意識が成立した後で、振り返って自らの先取制を
訴えるようなもので、どうもいちゃもんをつけている感が拭えない。
位置、方向、形状、特性等の、センサのプロパティの変化が作用である、
と捉えることは可能だろうか。
そもそもセンサ自体、情報を出力しているはずであるから、
情報の出力を作用とみなすのが素直かもしれないが、その出力情報は
センサのプロパティ変化に帰せられるのではないかと思う。
プロパティを意識が変化させているとみなすと、機械操作係が誕生して
しまうが、それは知覚の場合と同様の後出しである。
そうではなく、センサのプロパティ変化が、実装された意識にとっては
外部に作用しているように感じられる、という解釈が成立するか、
という問を立てたい。
そもそも、知覚と作用とを切り分ける必要はないのではないかという気も、
してこないでもない。
p.s.
amazonの履歴を調べると、K.ローレンツの「攻撃」の3ヶ月後に
「生物から見た世界」を購入しているので、たぶんそこからのつながりだ。
さらに、「攻撃」は貴志祐介の「新世界より」の影響のようだ。
書籍の購入履歴が残っていると、興味の変遷がわかって面白い。
2016-08-29
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