2016-09-20

CD

紙の本以外に、CDも未だによく買う。

日本の合唱のCDはメジャーなオンラインのサービスで提供されることが
ほぼ皆無だという消極的な理由もあるが、Brad Mehldauみたいな、
Google Play Musicでも提供されているようなものでも、好きなものは買う。

でもCDは、
ソフトウェアはハードウェアに非依存でいられるだろうか。
それは、身体なき意識、あるいは紙媒体なき書籍、
などと同じ問のように思われる。
An At a NOA 2016-09-09 “貨物輸送
の序列に並び得る対象のようには思われない。
CDの場合、プラスチック円盤というハードウェアがハードウェアとして
情報を保持していることを意識することは、自分の場合はほとんどないと
言ってよい。
それは確かに表面の凹凸に情報が刻まれており、レーザで読み出すことで
デコードされているのだが、そこにCDプレイヤーという変換器を挟まなくては
ならないために、依存すべきハードウェアのようには感じられない。

レコードはどうだろうか。
あるいは、書物でも、マイクロフィルムはどうだろうか。
このあたりのどこかに線引きがあるというのは、
眼鏡を通して見るのは「現実」として受容できるのに、ヘッドセットを通して見るのは
別の現実として受容してしまう、ということと、たぶん同じ話だ。
つまり、外部圧縮過程の侵入に対する、ささやかな抵抗と解釈できる。

2016-09-16

意識の並列化

@kaoriyaの意識の並列化のツイートに対して
@yukihiro_matzが反応している。
個人的には、意味付けの回路は並列化できるけど、
理由付けの回路は並列化できないという意味で、
@yukihiro_matzの意見に賛成である。
ただ、それは、おそらくリソース不足ということではなく、
理由付け回路は一つであることが、実装上の
要件定義になっているのではないかと思う。

理由付け回路が一つであるというのは、判断結果を
一つに決めることと同義である。
コンセンサスとは、一つに絞ることである。
正しさも、現実も、意識も、今も、ここも、わたしも、たった一つで
あってくれることで、できる判断があるのである。
それを行うために意識をわざわざ実装したのだとすれば、
回路を二つ用意することは、ある種のバグである。
こういうことを書くと、多重人格者への差別だとかいう、いらん批判を
受ける可能性もあるのだが、その状態を統合失調症という病気と
みなすのか、意識の多様な在り方の一つと呼ぶのかは一意的でない。
意識自体が病気とみなされないのも、それを判断するのが意識だからに
過ぎず、別の判断機構がどのように判断するかは一意的でない。

そもそも、多重人格者の内部において、果たして同時に理由付けの
回路がはたらく瞬間はあるのだろうか。
コンテクストスイッチのように、シングルコアでマルチタスクを
こなしているだけなのであれば、回路は一つである。
多重人格者内部での会話は、半二重semi duplexなのだろうか、
全二重full duplexなのだろうか。大変興味深い。

元のツイートで、@kaoriyaが同時通訳の例を挙げているが、
カンデル第一章にあるバイリンガルの早期と後期による活性化領域の
違いを考えると、早期バイリンガルは意味付け回路で処理を並列化
することで、高速な言語処理を達成しているのかもしれない。
だとすれば、言語処理のかなりの部分が理由付けでなく意味付けに
基づいているのかもしれない。

2016-09-15

多項式時間

NP完全性は理由律の限界として理解できるか。

これは「系統樹思考の世界」を読んでいたときに
残していたメモだが、「Logical induction」にも
多項式時間の話が出ていたので思い出した。

深層学習のような意味付けに属する過程には
多項式時間という概念がないと思われる。

データ量が十分でない状況において判断するために、
理屈をつけなければならない。
その理屈が人間に理解可能なかたちで設定できると
判断できるということが、クラスPに属するというという
ことなのかもしれない。

2016-09-13

Logical Induction

New paper: “Logical induction”


MIRIがLogical inductionというタイトルの論文を出した。

理由付けのモデル化に相当するだろうか。
  • the ability to recognize patterns in what is provable
  • the ability to recognize statistical patterns in sequences of logical claims
MIRI Blog 2016-09-12 New paper: “Logical induction”
の2つを同時に考慮しているという意味では、前者が意味付け、
後者が理由付けということなのかもしれない。
まあでも、proveという概念自体、理由付けに依拠するものであるから、
ここでいうrecognize patternsというのは、いわゆるパターン認識とは
別の過程として理解し、Logical induction=理由付けとみなすのが
よいのだろう。

following propertyiesとして挙げられているものの最後に、
やはりというべきか、ゲーデルの不完全性定理絡みの話が出ている。
意味付けや理由付けによる体系を「自然数論を含む帰納的公理化可能な理論」と
呼べるのかはわからないが、もしそうだとすれば、無矛盾性により判断不能な命題が
存在してしまうことは、厄介な問題になるはずだ。
これを回避するために、矛盾性をはらむことを許容しているという可能性はあるだろうか。
An At a NOA 2016-08-05 “知の編集工学
Logical inductionも平時についての理論としてはよいモデル化だと
思えるが、判断不能という非常時に備えた、何かしらの矛盾性が
要素として入ってくることになるのではなかろうか。

個人的には理由付け=投機的短絡speculative short circuitという
表現がしっくりくるので、Logical inductionのようなuncertaintyの
下での判断機構に関する話題は大変興味深い。


p.s.
そう言えば、メイヤスーの展開する思弁的実在論の「思弁的」の訳も
speculativeである。
広辞苑の「思弁」の項には、
①実践に対して、観想・理論の意味。
②経験によることなく、ただ純粋な思考によって経験を超えた真理の認識に
 到達しようとすること。(後略)
【思弁哲学】(spekulative Philosophie)
経験によらず、もっぱら思弁に基づく哲学。(後略)
広辞苑 第六版
とあるが、哲学的にはこの意味でのspeculativeであって、「投機的」
ということではないのだろう。

2016-09-09

リアルさの再現

CG女子高生「Saya」が超リアル 「不気味の谷」超えた執念の手描き


CGの側がリアルさの追求のために、非対称性、ほくろ、
しわ、髪のはね、等を織り込んでいくのに対し、
人間の側は整形等によってそういったディテールを
削っていくという構図はとても面白い。

シン・ゴジラ」のリアルさの話でも触れたが、ディテールが
意味付けに耐えるようになることで、リアルさが生まれる。
WaveNetはそこをCNNに任せることに成功したものだと言える。
ドット絵を高画質化する技術やwaifu2xなんかもそうだ。
人間が脳内でしばしば無意識のうちに自動変換していた内容
An At a NOA 2015-05-21 “waifu2x
を、脳以外の装置で生成、出力することがリアルさを生むというのは、
リアル=現実の何たるかを教えてくれるようだ。

意識とか心とか呼ばれるものを人工知能に実装すべきかという
問題も、そういったディテールのリアルさという観点からは、
表面的には実装するべきという方向になるのかもしれない。
理由付けはしていないけれども、あたかもしているかのような
処理過程を意味付けにより再現するような。

哀しいかな。
人間は現実が恋しくてしょうがないのかもしれない。

p.s.
twitterを直に埋め込んでも警告が出なくなった。
今後は埋め込みを使うように戻そう。

常温核融合

米で特許 再現成功で「常温核融合」、再評価が加速


今は「凝縮集系核反応」や「低エネルギー核反応」と呼ばれるらしい。
核融合炉については、2月にドイツのマックス・プランクプラズマ
物理学研究所で実験が成功したというニュースを見て以来だ。

数百℃のオーダーで核融合が進行するというのは
現状の物理学の枠組みでは理由付け不能であり、
似非科学とみる向きも多いらしい。

科学と似非科学の違いは、理由付けに基づくコンセンサスの
有無である。
コンセンサスが正しさを決めるのだから、正しいかどうかではない。
意味付けできるほどの量の情報が得られない現象に対しては、
理由付けにより科学になるまでは手を出さないというのが、
人間にとっての賢明さの在り方である。

こういった研究の末にエネルギー問題は解決したとして、
その先にはエントロピーの問題があるだろうか。
それはつまり、生命という秩序の限界についての問題である。

WaveNet

WaveNetという音声合成システムがDeepMindから発表された。


これ、すごいな。

ParametricやConcatenativeと比較したサンプルの
自然さもさることながら、Knowing What to Sayの節で、
text sequenceなしで学習させた場合のサンプルが衝撃的だ。
おそらく、ほぼすべての人間はリスニングから言語習得を
開始すると思われるが、原初のリスニングはこうだった
だろうな、という感覚を呼び起こされる思いだ。

耳を介して取得した情報を意味付けすることで人間の声を
認識できるようなセンサ特性をもつ神経系を構築し、逆に
そのセンサを使って人間の声と認識できるような音を選択し、
CNNという意味付けシステムに与えることで、人間の声を生成する。
人間の声に限らず、楽器の音もやることは同じだ。

その上に付与される、言語や音楽という理由付けが絡む要素には、
どこまで踏み込めるだろうか。
例えば、レンブラント風の絵を描いたりする実例は出てきているが、
それはどちらかというと、見る側の意味付け機構に依存した例だ。
新しい言語体系や音楽理論を構築することも可能だろうか。
あるいは、大量のデータを取得できているうちは、理由付け
なんていうものに必要性を見出さないのかもしれない。