Xで@k1rin0_ma氏の画像が流れてきた。
Golden hour life work pic.twitter.com/9Zv8sIoJMN
— KIRINOMA (@k1rin0_ma) November 9, 2025
かつて写真技術が発明されたことで、記録としての絵画の役目が終わるとともに印象派が生まれたように、画像生成技術が発明されたことで写真文化も大きな変革期を迎えている。
@k1rin0_ma氏の作品を見て感じるのは、画像生成器Image Generatorという新しい機械を手に入れたことで、描くDrawとも撮るTakeとも異なるピクチャPictureの生成方法が確立しつつあるのだなということだ。肖像画が絵画から写真に移ったように、あるジャンルのピクチャは絵画や写真から画像生成器に任せられるようになっていくのだろう。
デッサン・描画や撮影・現像といった技術の代わりに、学習・プロンプトが作品づくりのための技術になり、同じ画像生成器を使ったとしても、生めるピクチャの質には差がつくようになる。既に作品として認められている絵画を撮った写真には作品としての価値が見出されづらいのと同様に、既に作品となっている絵画や写真を学習した結果をそのまま生んだピクチャは作品にはならない。学習データやプロンプティングの工夫がオリジナルな出力につながれば、生成画像にも作品性は宿るのだろう。
絵の具で描いた絵画や光で描いた写真=光画と対比したとき、画像生成器は何で描いているのだろう。データで描いたDatagraph?@k1rin0_ma氏が“I gather lensless daydreams—pictures not taken but composed”と書いているように、覚醒時に集めたデータを基に再構成されたピクチャはまさに白昼夢であるから、「写想」という名も相応しい。
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