2023-08-28

いい子のあくび

 高瀬隼子『いい子のあくび』を読んだ。


以前、性善説と性悪説について書いたことがある。両者はいずれも個人ではなく集団の特性をいうものであり、前者は固定化、後者は発散の傾向を取り上げる。

An At a NOA 2017-08-16 “性善説と性悪説”

本書では、「いい子」の対義語は「悪い子」ではなく「やな子」であるから、性「嫌」説とでも言えるだろうか。社会状態においては、万人の万人に対する闘争の決着が予め決せられていることで表面的に凪いだようにみえるだけであり、その裏では日々大小様々な無数のあくびが噛み殺されている。あくびを嚙み殺すことをやめたとき、周囲から浮いた「やな子」になってしまう。つまり「嫌」性とは、調和からの逸脱の傾向である。

An At a NOA 2019-09-05“マックイーン モードの反逆児”

An At a NOA 2019-07-09“名付けられぬ逸脱”

An At a NOA 2018-09-30“芸術と逸脱”

An At a NOA 2018-06-19“逸脱の対義語”

An At a NOA 2018-06-19“エロスの涙”

嚙み殺されなかった「いい子のあくび」、つまりはマジョリティからの逸脱=モードへの反逆は、調和された世界に一石を投じる。それが、問題提起する芸術となるか、はたまた狂人の犯罪となるかは、その内容ではなく誰がどう見るかで決まる。あくびを一切せずに壊死するか、あくびをし過ぎて瓦解するか。調和は常に試されている。

2023-07-23

ハンチバック

 市川沙央『ハンチバック』を読んだ。

情報世界に対する物理世界の重さの描写が鋭い。マチズモとか摩擦とか堕胎とか、生きている現実(=物理世界)とライターとしての著述(=情報世界)の対比。それに加え、この作品(=情報世界)と作者(=物理世界)の対比。そのオーヴァラップが作品の強度につながっていると思う。

2023-07-14

現実

 現実とは情報の斉一性を共有した状態のことである。

自然の斉一性Uniformity of Natureに論理的根拠がないように、情報の斉一性Uniformity of Informationも論理的に帰結するものではなく、バラバラであっても不思議でないものたちが一つのかたちをなしているとみなす一種の信仰である。

それを他人や周囲の環境と共有するという舞台設定こそが、現実なのだ。

人間側の情報の受け取り方で斉一性が崩れる場合には妄想になり、環境側で情報の斉一性が失われたように見える場合には幻想になる。斉一性を保ってはいるが限られた範囲でしか信仰が共有されていない場合には虚構になる。

2023-01-02

微妙に違う

迎春のようで迎春でない。
ミッフィーのようでミッフィーでない。

2022-09-02

ego

エゴとはつまり局所最適化のことである。

2022-03-13

野廃るじい

【野廃るじい(のすた-るじい)】
廃れた荒野にて、かつての栄華を懐かしむ様。
野に廃るらし→野廃らしい→野廃るじいの変化か。

2022-01-02

プリミティブの窓

幾何学的にシンプルなプリミティブの窓が、
寅のウロコを穿つ。
もはやトラ感はない。